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ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

送り盆8.16

早朝、お店仕事明け、直接事務所に行き朝7時から1時間半地味な広告仕事。帰宅して、明徳の大量得点など見ながら試合途中、墓参り(送り盆)へ。自分は行かなかったが入りに挿したという小さなヒマワリが生気も逞しく咲いていた。その後カンセキに寄りシンク下のラックなど購入。昼就寝、夕方起きて部屋の片付け。といっても片付け仕事はのろい笑。スープカレー食べて夜、お店仕事に。こういうのをちまちまメモるのもいいな…。f:id:zoothorn00:20160817084543j:plain

ブロッコリー植えた。あ、明徳は3回戦突破一番乗り。

亡き母の留守電きく夢誕生日

群青色のカバンを最近購入したのだが、それを失くした夢を見た。なぜか、失くしたのは高校の修学旅行の最中ということになっていた。そのカバンの中にはあらゆる大事なものが詰め込まれており、気付いたときは目の前が真っ暗に。失くしたのは東京での自由行動のときにいった原宿の服屋しかないと思いつき、服屋に向かい、雑居ビルの階段を登っている。こんな人の多い、しかも東京などという都会の、およそ人情などとは程遠い多くの人の目に触れたカバンが残されているわけはないと半分あきらめている。服屋につくと店長がいて、なぜかその人は高知カオティックノイズのI店長なのである。きょろきょろとまわりを見回すと、店の片隅に案の定カバンが打ち捨てられていた。汚れて、痛み果てたそれを開くとなかは空っぽ。思わずあっと大声をあげてしまう。そしてその一部始終を田舎に待つ母にぶちまけようと家に帰ると、留守番電話がたくさん入っていた。そのときは修学旅行中なので家は実家しかないのだが、まぁ夢なのでそのときは現在になっているのだった。再生すると母からで、無数のメッセージが入っている。「あんたどうしゆで。栄養のあるもんを食べないかんで」「高知新聞に出ちょったけんどね、車の運転は気をつけないかん」…なにか、過去に聞いたことのあるセリフばかりなのである。すごく懐かしい気持ちになって、カバンを失くしたことを忘れていた。夢から覚め、相方にその話をすると「誕生日に、お母さんの声がきけてよかったじゃない」と。この日は誕生日だったのを思い出し、そうかと、ひどく納得してしまったのでした。
(遅ればせながら6月17日に見た夢の話)

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「 栃木のうずらフン」、フン闘す。

というわけで(?)小ネタです。自宅のプランターで育ててる茄子が順調に実をつけました。茄子焼きで食しましたが美味。テントウムシで葉が少々食害にあいましたが大事に至らずです。もちろん肥料は、生石灰入り「純正有機肥料 栃木のうずらフン」。これからはちょこちょこと追肥して長く収穫したいなと。うずらフンを長年使用する那須烏山のエコファーマーH本先生いわく「追肥は人間と同じで、たくさんあげても一度には消化できない。少しづつ、ちょこちょことあげるのが効果的」。特に茄子は肥料を好む野菜だそうですので追肥が重要かもです。しかし栃木に来て肥料づくりに携わるとは想像もしてなかった私。栃木で生まれたものを栃木の土に返す。微々たる行為ですが自然の循環を感じられてなかなかにいいものですわ。

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渡辺紘文監督作品『七日』大田原上映観た

4月24日、大田原市那須与一伝承館で渡辺紘文監督の「そして泥船はゆく」につづく新作「七日」を観てきました。110分モノクロ作品、セリフなし、キャストは監督自身と監督のおばあちゃんの二人のみという設定に、逆に楽しみは膨らんでいましたが、期待にたがわず実験的要素もたっぷり。長回しや執拗とも思える反復。朝起きてゴミ出しに行き、食事をし、牛舎に働きに出て、日が暮れるとともに帰り、また食べて寝る。一見単調に見える生活にもちょっとしたシーンに人間的で、豊かな情緒が見え隠れする。バナナをちぎり、残ったバナナをおばあちゃんの手の届きそうな位置になにげなく置く。たった二人の生活なのにゴミは毎日のように出る。牛舎では牛糞を毎日スコップで集め、ときにふと手で握る。排泄ということと捨てるということが強調される意味。それに反してこたつの下のサイダーが一向に減らないのはなぜか。主人公がひとり孤独に、牛舎の行き帰りを毎日歩くのを、長身の撮影監督バン・ウヒョン氏が息遣いまできこえるようなすぐ後ろから、そしてちょっと高い位置から追い続ける。ひとりなのに温かみのあるシーンに仕上がっている不思議。ヴェンダースロードムービーを連想しつつも、それとは間逆な日々の営みの象徴のよう。音楽監督渡辺雄司氏の音楽は、なぜかコリン・ニューマンのミニマルミュージックのようにもきこえ、映像を輝かせる。こたつの2面のどちらかに座る主人公は、どちらもなぜか右の横顔をキャメラはとらえますが、一度だけこたつの手前にドーンとお腹をだして爆睡する主人公のユーモア。おばあちゃんの最大の見せ場にもなりましたがそれはぜひ見てのお楽しみ。謎かけばかりでおわってあれですが、渡辺兄弟の既成概念をぶち破るかのような冒険心と意欲あふれる本作に敬意を表したいと感じました。

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寄稿:てめえらふざけんな2016(文:スミオ)~40年前に片岡理がつぶやいたこととは?─高校時代の同級生、スミオさんが語る極私的追悼メモ

みなさん、はじめまして。
スミオです。

1975年から77年にかけて、
片岡クン(土佐高では「りーちゃん」と呼ばれてました)といっしょに、
土佐高校ギター部に在籍しておりました。

僕は、りーちゃんとはずっと疎遠で、
音楽活動もよく知らなかったのですが、
ギタリストとしての修行時代を見てきたわけですから、
彼とその音楽に興味をもつ方々のために、
メモを残しておきたいとおもいます。

なお、Zoothornさんによれば、
土佐高校には変人が多いということですが、
以下も変人っぽい方々が登場しますが(笑)、
これはあくまでも僕のゆがんだ精神を通過することで、
楽音を歪ませているだけですので、
そこんとこ、ヨロシク。

さあ、行こうぜ
40年前の世界へ

(土佐高校ギター部)

当時、ギター部は、各学年3~5人おりまして、
全体で20人くらいでした。
顧問はイノウエ先生といい、
たいへん上手なギタリストで、
本職は英語の先生でした。

ギター部ではクラシックギター専門でして、
「カルカッシ ギター教則本」という本に沿って
毎日、地味に練習するわけです。
例えばこういうワルツ

https://www.youtube.com/watch?v=GLRHlAUJDPY

要するに、
C、D、E、Fといったコードをそのまま弾いたり、
アルペジオに分解して弾くわけです。
一音、一音、きれいに、はっきりと、
正しいリズムで弾く練習をします。

あと、半音階の練習とか

https://www.youtube.com/watch?v=dKTQWtG4KJc

トリルの練習とか

こういう練習を、えんえんとやっていたわけですね。

これがつらい。面白くない。
練習曲も、なんかつまらない。
まあ、僕はギターとか演奏に向いてなかったわけですな。

僕の学年には、
りーちゃんの他、
ハマダくん、ヨーセイ、イトウくん
の三人がいました。

(クラシックギター部で何をやりたいの?)

僕は、映画の「禁じられた遊び」を見て、
これをクラシックギターで弾けたら良いなあと思って始めたクチで、
もともと音楽の才能も深い興味も何もありません。

金髪ロリ美少女と交際できないので(阿呆)、
そのかわりに可愛い楽曲を弾けたら良いなあと思ったわけです。

だから、音数が少なくてすむ割に、
可愛くて響きの良い
印象派っぽい楽曲を好んで弾いてました。

「ラグリマ」 by タレガ
https://www.youtube.com/watch?v=Jot7Q9n7L9U

アデリータ」by タレガ

https://www.youtube.com/watch?v=meFevswf_68

ワイスの「ファンタジア」もきれいだが、
少し敷居が高いなと、そういうレベル。

https://www.youtube.com/watch?v=Iq2_ax6Ltyc

嫌いなのは、音数が多く、超絶技巧で、
しかし和声がつまらない楽曲(僕が勝手に思うだけです)。

グラン・ソロ  by ソル

https://www.youtube.com/watch?v=9oS8r-p8Y1g

いや、弾けるわけはありませんが、そもそも興味が湧かない。

部長のナカガワさんは、
ギターを集中して必死で弾いてる人で、
うまかったです。
こういうのをよく弾いてました。

「アラビア風綺想曲」 byタレガ
https://www.youtube.com/watch?v=YLNKsTznFMw

アストゥリアス」 by アルベニス

https://www.youtube.com/watch?v=W0IuKBCLYdU&spfreload=10

ナカガワさんは、なんでものめり込むタイプらしく、
ハヤカワミステリブックスをほとんど読んだと聞いてます。
合宿のときにも、消灯後に、布団の中で懐中電灯の光でミステリを読んでおり、驚きました。
彼も、ロマンティックな楽曲に惹かれるタイプですね。
ただ集中力が違う。

ヨーセイくんは、
当時すでに珍しかった旧制高校風の教養派でして、
ド田舎にもかかわらず、著名な交響曲のスコアを持っていて、
読んでいるという話でした。
2年の文化祭では、
モーツァルト交響曲40番第一楽章のスコアを、
彼が五人合奏用にアレンジし、
演奏した記憶があります。

https://www.youtube.com/watch?v=N4JBduI1O1c

一学年下にもギターのうまいタケチくんという方がおり、
真面目に練習していて、順調に上達しており、
最後はかなりの難曲を弾きこなしていました。
僕はとても演奏に感心していましたが、
同時に、その楽曲の古典っぽい和声が好きではなく、
曲名も、どうしても思い出せません。

(りーちゃんの不思議)

ところが、りーちゃんについては、
クラシックギターの楽曲への思い入れやこだわりが、
感じられませんでした。
好きな楽曲の話が出ないし、
あまり楽曲には興味なさげなので、
不思議に思っていました。
他の子とちょっと違うわけです。

かれのクラシックギターは、
音程もリズムも正確で、
律儀に弾いている感じでした。
ただ、もちろん僕よりはずっとうまかったわけですが、
それ以上にうまくなって難曲を弾きこなそうというような熱意は
感じられなかったわけです。

あるとき、かれがバンドを組んで演奏をしていたという話を聞きました。
また、ときどき当時流行のロックやフュージョンの話を少しだけすることがありました。

ただ、僕は商業音楽に興味がなかったし、
こういう話についていける子は、
クラシックギター部にはいなかったようです。

あるとき、かれがロックを聴いてみたらと言って、
勧めてくれたのがPFMで、
クラシック寄りだから入りやすいだろうと、
少し、はにかんだ感じで勧めてきました。
「これはよほどロックが好きなんだなあ」と思った記憶があります。
(PFMは聴きましたが、ピンとこなかったですね)

本当はバンドをやりたいんだろうなあと。

いま考えると、りーちゃんは、
クラシックギター楽曲にはあまり興味がなくて、
ギター修行に来てたのかな。

そういう意味では、
クラシックギターの、正しいリズムで正確に弾く練習は、
バンド活動で役に立ったのでしょうか。

(楽器の練習について)

あるとき、部室で、りーちゃんが、
ぼそっと呟いたことを、
なぜか今でも覚えています。

「ピアノ演奏家って、
一日に10時間も練習する言うけんど、
そんなことに意味あるがやろうか?
旅とかにでて、
感受性を磨くほうが、
ずっと大事やないろうか?」

これを聞いて、
ちょっとビミョーな感じがしましたね。
クラシックの演奏家は、
もともと長時間練習しても苦にならないような人がなるわけなので、
そういう考え方をしないんじゃないかなあ
と思ったことを覚えています。
例えば、ナカガワさんやヨーセイやタケチくんは、
そういうことは言わないだろうなと。

りーちゃんは、バンドをやって、
曲を書きたいのかなあと。

(ギター部の部員ノートと詩)

ギター部には、部員ノートが備えつけてあり、
順番に持ち回りでノートに何か書くことになっていました。

ここで、りーちゃんは、いつも詩を書いてくるのですが、
この詩が、何を言いたいのか、さっぱりわからないわけです。

りーちゃんには、普通思いつかないような、
意表をつく言葉の組合せを考え出す才能がありました。
それは、まぎれもなく、詩人の才能なのですが、
ただ、かれがノートに書いた詩は、
何を伝えたいのか、さっぱりわからないわけです。

あるとき、ナカガワさんが、りーちゃんの詩に対してコメントを書いてきました。

りーちゃんの詩は、技巧は完成されていて、上手で感心するが、
しかし何も伝わってくるものがない。
それより、文章は下手くそでいいから、
自分の言いたいことをストレートに言葉にするほうが、
自分は好きだというものでした。

僕も、ナカガワさんの言うとおりだとおもいました。
りーちゃんの詩は、技巧的には面白いけど、
かれの見ている「世界」が伝わってこないようだと。
それだと「詩」としては成立していないのではないかと。

(詩ではなく、歌詞)

高校3年で受験前になってギター部を引退した後は
りーちゃんと顔を合わせることも少なくなり、
卒業後はほとんど会うこともなかったわけですが、
最近、彼の逝去を知り、
またネットで音楽活動の一端を知ることができました。

そこでちょっと驚いたこと。
どの楽曲からも、あの幻のギター部ノートに独特の文字体で彫り込まれた「詩」が、
より明確な心象をもって立ち上がってくる。

例えば、ランリー・YOU

「いつの日からかそれが 始まることになっちまい
突然そうに見えて 土の下では違ってた

みんなが望んだことらしく
誰もが決めたことらしい

そいつはまやかし 大違い
知らないうちに 思うつぼ

誰が始めた 誰がゆるした
おれもあんたも あんたもおれも」

りーちゃんがノートに、無償で、なにやら憑かれたように書きつけていたのは、
「詩」で完結するものではなく、
「歌詞」だったのだ。

かれの抱え込んだ、あるいは何者かに抱え込まされたイメージは、
言語だけで表現できるようなものではなく、
楽曲をともなって、
はじめて立ち上がってくるものだったのだ。

詩人ではなく、もしかすると音楽家でさえもなく、表現者

彼が抱えていた、あるいは何者かに抱え込まされていた、
もともと他人と共有することが困難なイメージは、
おそらくほとんどは他人に見えるような形態の獲得に到達することなく、
彼とともに、薄明の世界へと、去ってしまったのだろうか?

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「これは、全ての敗者の情念がもたらした最後の復活戦である─『てめえらふざけんな!!』」(片岡理)

今朝片岡さんの割と長い夢を見たので取り急ぎ。スラッヂ片岡理さんのソロの新譜リリースが決定し、インディながらサブカル界で話題となり、レコ発3日連続トークライブが決まる。なぜかトークライブらしい。ぼくは飯田橋に通い、さえないサラリーマンをしている。新聞にも新譜やレコ発ライブの告知記事が掲載されるが、その文章が片岡さんの「死力回復センター」の一連の文章のようで、何度読んでもまったく意味不明。で、初日は仕事で観にいけなかったが、2日目は飯田橋の映画館らしき会場にイン。満員の会場のなか、片岡さんとそのとりまきが駆けつけ、ステージにあがる。とりまきには確かスチャダラパーのボーズや若手漫画家?など。片岡さんはおれに目を向け、「泥船!泥船!」というので、しかたなくマイクを握り、「えー、泥船の主人公は36歳の無職の男で…」などとなぜか渡辺紘文監督「そして泥船はゆく」のあらすじを喋り、ぜんぜん新譜の話にならないのであせる。片岡さんのとりまきにおれがいないのは、会社の仕事のせいだとはなんとなくわかっている。その新譜だが3曲入りのミニCD。かなり装丁、デザインが凝ってて、折りたたむと直径2センチ位になるのだった。聴きたいなと折り紙を開くようにジャケをいじっているがなかなか開かない。と苦戦してるうち目が覚めた。



…こんな夢を見た背景には先日、片岡さんの高校(T高校)の同級生T中さんに初めてお会いしたこともあるのかも。T中さんとはこのブログにコメントをいただいたことがきっかけでメールのやり取りが始まる。私の田舎・後免町の隣町「土佐山田町」に、僕と同時代にお住まいだったこと、また私が12年間勤務した飯田橋の会社のごく近所に今のお住まいがあることなどをきき、これも縁だなと深く感じていた。
お会いしたのは上野。片岡フリークであるDr.O川氏とともに駅で落ちあい、挨拶もそこそこに「大統領」に挿入!ビールも来ないうちからさっそく片岡話に。T中さんは高校のギター部で片岡さんとご一緒で、しょっちゅう二人で行動を共にするほど親密だったが、高校卒業後はほとんど音信不通となったそうな。で、30歳位の頃、偶然日暮里の駅で「おぉ、スミオちゃんやんか!」と片岡さんに声をかけられ再会したという。この話妙に聞いた覚えがある私である。T高のギター部は、基本クラシックギター専門で、当時の部員はリーちゃん(片岡さんのこと)、タケチくん、ナカガワくんなどがいて、T中さんは部員それぞれのギターへの偏愛度の違いを語るのだが、タケチくんナカガワくんのことは何も知らないのに、高知のクラスにはほぼ必ずいる苗字ということや、T高は当時から偏差値は高知でも抜きんでている高校だが、それ以上に変人が多いというもっぱらのイメージということなども相まって、なぜか顔すら想像できてからに面白い。まるで高知の場末の居酒屋が、上野に降臨という風情すら漂って、「大統領」という独特の喧騒状態、そして酔いの中、3人の顔も終始にやけ、はたから見たら妖怪的なオヤジ三酔人問答のように見えたのではなかろうか。Dr.O川氏もこのディープな展開にガハハ笑いを連発する。
「リーちゃんは、ギターはまったくの初心者でしたき」とT中さん。「それより記憶にあるがは、いつもポエムのような不思議な文章をかきよって、あれはなんだろうと長年思いよりました。けんどユーチューブで彼の歌をきいて、それが氷解したがです。あぁあれは詩ではなく歌詞だったんだとね」と、焼き鳥とキムチを交互に喰らいながら話が止まらないT中さんであった。
なるほど、それはまさに片岡さんの伝説の年賀状群やメーリングリスト「死力回復センター」で展開したあまたの文章にもつながっていると強く思った次第。
そのほか、リーちゃんのユートピアは小学校時代の夏休みに過ごした東津野村の秘境にあった。リーちゃんの最大の挫折は高校時代バレーボール部のレギュラーになれなかったこと。これが格闘技をはじめたことにもつながっていた、などなど私とT中さんの思い出を軸に片岡論がつぎつぎと出る出る。「リーちゃんはギタリストでも詩人でもアスリートでもない。表現者ながですよ!」というT中さんの説にも深く同意した私だった。
いやその時点で酔いもかなりまわっていたし、発言の記憶も定かではない。土佐弁もこんなに使っていなかったかも(笑)。大事な話もいくつか忘れているような気がする…。

で、そうそう、T中さんにお見せしようとこの日ぼくがお持ちしたのが片岡さんが高3の時に同級生とつくったという手書きミニコミ「てめえらふざけんな」。T中さん、それをパラパラとめくる手をあるページで止め、「あ、これ僕が書きました」。まさにそんなこともあろうかとお持ちしたのだが、また何かがつながった気がしましたね。そんなことから、「自分はリーちゃんと長く付き合いもなかったし、追悼のようなことは書けないけど、ギター部当時の感想などのメモなら書きますよ」と。さしずめ「てめえらふざけんな2016」とでもいうものになるのだろうか。まさに震えて待て…。いや、「震えてばかりはいられやしないぜ、このまま終わる冬じゃない」!!!…だよね。

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あまりにも眩(まばゆ)ひボウイに距離を置き~デヴィッド・ボウイからイアン・ハンターに至る超個人的なメモ

デヴィッド・ボウイの訃報にいまだに動揺している私。ことさらに崇拝、というほどではなかったけれど、70年代に聴いてた音楽の中でも突出した存在のひとりだったし、特別な憧憬を感じてたのは確か。で、いったいどう聴いてきたのかあらためて振り返ってみようと70年代につくったノートを見てみた。

すると最初にエアチェックして繰り返し聴いていた「ダイアモンドの犬」の頃の記録はひとつもない。確かこのタイトルチューンは記憶ではFMではなく、みのもんたがDJだった文化放送オールジャパンポップス20」(実際僕は高知放送で聴いていたが)かNHK第1の「若いこだま」あたりだったかなと。その後NHKFMでアルバム曲もエアチェックしたと思う。ボウイの曲を最初にメモしていたのは76年年頭にオンエアされたNHKFMの「特集番組ヤングジョッキー」。DJは渋谷陽一大貫憲章。このとき「フェイム」がかかり、5点満点で4点をつけていた(笑)。ヤングジョッキーがレギュラー番組となるのは76年4月で、まだ「若いこだま」を集中的に聴いていた頃だ。
以下、メモより抜粋。
・1976.2.14「若いこだま/新譜特集」
「ゴールデン・イヤーズ」(4)
「ステイ」(3)(※カッコ内は5点満点の評)
・1976.2,19「ポップス・ウイークリー」(DJは東郷かおる子
「ゴールデン・イヤーズ」(4)
「野生の息吹き」(4)
・1976.4.11番組名不明(NHKFMのボウイ特集)
「ステーション・トゥ・ステーション」(★5)★は最高評価
「ゴールデン・イヤーズ」(5)
「ヤング・アメリカン」(5)(寸評:LPに入っている方とEPと全然ちがう。LPの方は最高にいい)
「夜をぶっとばせ」(5)(すごいアレンジ)
「ジーン・ジニー」(5)(とてもかっこいい)
「スペース・オディティ」(5)
「TVC15」(5)
「ステイ」(5)
「野生の息吹き」(5)(本当に歌がうまい)
・1976.5.2「ヤングジョッキー第4回」
「ステイ」(★5)(最高にみりょくのある曲だ。Vocalがほんとに感動的に歌うのだ。ほんとにすばらしいと思う。この人は本当に本当にすごい)
・1976.12.26「ヤングジョッキー/76年回想」
「TVC15」(★5)(曲づくりのうまさを象徴している)
・1977.1.7「ヤングジョッキー/新春ロック講座第7回72年特集」
「ロックンロールの自殺者」(5)
・1977.1.30「ヤングジョッキー第42回」
「ホワット・イン・ザ・ワールド」(5)
「サウンド・アンド・ビジョン」(5)
ワルシャワ」(★5)
・1977.3.29「ヤングジョッキー/ハードロックウイークリー」
「スピード・オブ・ライフ」(5)
・1977.5.14「ヤングジョッキー第60回」
「ビー・マイ・ワイフ」(★5)
「サブテラニアンズ」(3)
(イギーボップ(ママ)とデビッドボウイはセンスが合っている。曲にもそれは明らかにあらわれていると思う。(中略)オレもまだボウイのよさはわからない。もう少し勉強して理解したい)
・1978.6.3~4「ヤングジョッキー/プログレッシブ・ロック・ベスト20」
「ウイッピング・ウォール」
(天才ボウイ。ヴォーカルほしいなぁこの曲)

というわけで、こうして見ると予想よりメモは少ないけど、このときに録音したエアチェックテープは当時は暇さえあればきいていた。なにしろレコードを買うお金はないし、ロックを聴く手段は「ヤングジョッキー」を中心にFMできくこと位しかなかった。例えば76年のゴールデンウイークに7日連続でやった「ヤングジョッキーROCK講座」は全69曲(←ロックだから?笑)を記録してるが、「48~53までは寝ていたのできけなかった」なんてメモがある。すべてを録音してたわけではないようだ。また「第18回ヤングジョッキー聴きのがす!一生の不覚!」なんてメモもある(笑)。我ながら入れ込み方がすごい。

イギーとボウイについてのメモはまったく記憶にないけどいいなぁ…。とにかく真剣にロックに取り組んでることがわかるなと。「ステイ」の評価がどんどん上がってるのも面白い。今はようつべで何でも聴きたいときに聴ける時代だけど、この頃に吸収したことの濃度を思うと今よりも幸せな時代だったのかも…。上京してからは確か「レッツ・ダンス」まですべてのアルバムを買っていた。それなりにハマってたけれど、いまでも聴くといちばん血が騒ぐのは「ダイアモンドドッグス」かなぁ。聴いた時代のロックへの飢えみたいなものと衝撃がぴったり合ったというかな。

で、ぼくはルーリードもイギーもライブを観に行ったけど、ボウイは結局観る機会がなかった。あまりにも華麗で眩い存在だったからかな。見たかったけど。10年ほど前だろうか、その時点ですでに半分あきらめていたが、「ライブも色々見に行ったけど、あとイアン・ハンターさえ見れたら、あとは別にもういいかなぁ」などと誰かに話していた。で、去年ついにイアン・ハンターが初来日。1日だけだけど宇都宮からひとりで下北までライブを見にいってきた。知り合いはゼロ。ぼくと同年代の女性が号泣してたな。「All The Young Dudes」では観客も合唱。イアンもあおる。みんなに交じってどさくさで歌っていた。涙出た。あ、イアン・ハンターの話になっちゃったけど…。でもあのとき、おそらくぼくはボウイを体感したんだなあと今は思っている。ボウイ、安らかにね。「本当に本当にすごい」ロックをもらいました。

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(1992) David Bowie+Mick Ronson+Queen+Ian Hunter / All The Young Dudes ~ Heroes