ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

カセットテープの思い出をだらだら語るしょの2

最初にカセットテープレコーダー(モノラル)を買ってラジオのエアチェックを始めたのは74年頃だっただろうか。AMのNHK第1「若いこだま」や、親に頼まれて同じくNHKの小説朗読番組などをせっせと録音していた記憶がある。FMなどは、ほんとはTDKのADやSONYのHigh Positionなどで録音したかったがお金もないのでたくさんは買えない。そんなころ、地元南国市の川村時計店南国店(時計も売っているがメインはレコ屋という店。もうとうになくなった)のワゴンコーナーかなんかでBARONを見つけた。要は激安テープなんだけど、これが後々考えると発見で。5本セットなどをよく買ったような気がする。40年たった今でもカビも生えることなく、いまだに普通に聴けている。ネットなどでは「粗悪品」などと言われてたりするが、ぼくにいわせれば高コスパの奇跡的テープで、BARONのおかげで大量にエアチェックできたし、いまだに思い出して聴くこともある。正直感謝のひとことなのである。

そんなわけでBARONカセットテープの紹介を。

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ジャケのデザインは工業デザイン的なシンプルさもあってけっこうかっこいいんじゃないかなと。ボブ・ディラン「地下室」はオマケ。FMでブラックサバスやエアロスミスの特集をエアチェックしたのもBARONだった。曲目の頭にある数字は当時使ってたテープレコーダーのカウンターの数値(笑)。

ジャンルに関係なく編集したテープなどみると、そんなに選びぬいて録音した感じでもないし、よく聴くヒット曲も多い。このへんを聴きなおすと、その時自分がどう日常を過ごしてたかとか、聴いてた時代や自分の部屋の空気感まで再生されてくるような錯覚に襲われる。それと、ラジオで流れている曲を数多くきくというよりは、録音した数少ない曲を巻きもどして何度も聴くようなところがぼくにはあった。そのぶんの記憶まで色濃く定着してしまったような感覚もある。

BARONについてはこのくらいにして、前回紹介した詩人・小笠原鳥類さんが綴った「紙の筒のような箱に入っているとどこまでも楽しかった楽しかった。」というフレーズについて。これは下の写真のような箱を指しているのだと思う。

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この箱はいまでも見かける気もするけど、プラスチックケースがなく、テープがそのまま紙の箱に入っていたものもあった。

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SONYの紙箱タイプとプラケースタイプを比較

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紙箱カセットは見ているだけで、本当にどこまでも楽しかった楽しかった。。

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ルー・リードの下にあるものSONYだけどこれは何かについてきた非売品だったか。何度も重ね録りした形跡もあるが、最終的に母親インタビューを録音している(笑)

以上、次回のしょの3ではテープコレクションなど紹介してみたい気もしてる。でわでわ。。

アポロンのミュージックテープカタログのことなどだらだらと

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先日アポロンのミュージックテープカタログを発掘したので、パラパラめくっていたら、76年にNHKで放送した「ヤング・ミュージック・ショー」イエス編の新聞TV面番組記事の切り抜きが挟まっていた。切り抜いた記憶はまったくないけどあまりに懐かしいのでアップする次第。

ぼくは経済的な理由でレコードプレイヤーを買う時期がかなり遅く、いまでも覚えているけど最初に買ったLPレコードはAllman Brothers Band「ウイン、ルーズ・オア・ドロウ」とmarshall Tucker Band「ニュー・ライフ」でした。いきなり2枚買い。その後2枚買いはあまり記憶にないのでこのときは相当欲望が決壊寸前だったんだろう…。「ウイン、ルーズ~」は当時新譜だったはずなので75年だ。学年でいえば中3か。買ったのは、今は無き高知市帯屋町商店街の川村時計店本店だった。

ともかくLPレコードプレイヤーを買うまでは(ドーナツ盤がきけるポータブルプレイヤーはあったが)、実質ロックなどはFMでエアチェックするか、ミュージックテープを買って聴く2択しかなかった。このアポロンのカタログは記憶ではてっきりアトランティックのカタログと思ってたが記憶違いだった。アポロンって響き、なじみ深いけどそれってなんなんだっけ、と改めて検索したらwikiに以下の記述が。

アポロン音楽工業株式会社…
1971年3月、渡辺プロダクションナベプロ)と文化放送などが出資するレコード会社として、東京都新宿区若葉1丁目5番地の当時の文化放送の本社内に「アポロン音楽工業株式会社」を創業。創業当時は、主にナベプロ傘下の渡辺音楽出版が原盤権を持つ各レコード会社のナベプロ所属歌手の音源の音楽テープの発売を行っていた。当時ナベプロはワーナー・パイオニア(ワーナー)にも出資しており、1970年代中頃までは、ワーナーは渡辺音楽出版が原盤権を持たない音源でもレコード盤を発売し、アポロンレッド・ツェッペリンやディープ・パープル、クイーン等の洋楽を含めワーナーからの原盤提供を受けて音楽テープを発売する形態が多かった。

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…あぁ、そういう既得権もからんだ話だったのか、世の中には自分が知らない経済界の取引が着々と大人の手で進められていたんだなと、まぁ、そんな感想でいいですかね笑。
で、話戻ってこのカタログを見て買ったyes「海洋地形学の物語」などは最初ステレオカセットデッキなどではなく、モノラルカセットプレイヤーで聴いていた。

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この写真はたぶん74年頃撮った自分の部屋の写真だけど、右下にちらっと見えてるのがそう。ソフトケースでよくわからないがいまみると断然おしゃれだしむくむくとフェティシズムをそそられる。
ぼくは中学の時に小学校からの同級生Y夫くんにZEPの「フィジカル・グラフィティ」のミュージックテープを貸し、かわりにGFRの確か「Live!」のミュージックテープを借りたりしてこのカセットプレイヤーで聴いたものだ。「フィジカル~」も「海洋地形学~」、そしてボブ・ディラン「ザ・ベースメントテープス」もそうだけど、LPでは2枚組になるものがテープでは1本に納まっているものを価格的には多少お得だと感じ、優先的に購入していたふしもある。あとカタログの曲目のあとに曲数をたんねんにメモってるけど曲が多い方が単純にお得だと思ってたのだろうか。。でも「海洋地形学~」はA~D面あわせて全4曲だしそれは違うか、とかね。いま思えば「フィジカル~」「海洋地形学~」いずれも手放してしまったのは残念。。

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この「死の舞踏」はいまも残っている。

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あらためて見ると当時はまったく見向きもしなかったムード音楽のタイトルがそそるし、このカセットで、しかもモノラルで聴いてみたい。

とりとめもなくなったけど最後に、野村さんのブログにでてくる詩人・小笠原鳥類さんのカセットテープに込めた思いをつづった文章を。
http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/20090721/1248191615

「鼻もあるようだし口もあるようだし、顔だなあ、と思いました。」この辺からぐっときてしょうがなくなります。

先日「7.16なないろ」に出演してくれた大野真聖さんが、ぼくがエアチェック用に愛用してたBARONというカセットテープのことにいたく興味をもってくれたので、次回はBARONについて書きたい。また小笠原鳥類さんの「紙の筒のような箱に入っているとどこまでも楽しかった楽しかった。」…このフレーズにぼくは郷愁とともに涙したんですが、この紙箱カセットも紹介したいなと思います。

送り盆8.16

早朝、お店仕事明け、直接事務所に行き朝7時から1時間半地味な広告仕事。帰宅して、明徳の大量得点など見ながら試合途中、墓参り(送り盆)へ。自分は行かなかったが入りに挿したという小さなヒマワリが生気も逞しく咲いていた。その後カンセキに寄りシンク下のラックなど購入。昼就寝、夕方起きて部屋の片付け。といっても片付け仕事はのろい笑。スープカレー食べて夜、お店仕事に。こういうのをちまちまメモるのもいいな…。f:id:zoothorn00:20160817084543j:plain

ブロッコリー植えた。あ、明徳は3回戦突破一番乗り。

亡き母の留守電きく夢誕生日

群青色のカバンを最近購入したのだが、それを失くした夢を見た。なぜか、失くしたのは高校の修学旅行の最中ということになっていた。そのカバンの中にはあらゆる大事なものが詰め込まれており、気付いたときは目の前が真っ暗に。失くしたのは東京での自由行動のときにいった原宿の服屋しかないと思いつき、服屋に向かい、雑居ビルの階段を登っている。こんな人の多い、しかも東京などという都会の、およそ人情などとは程遠い多くの人の目に触れたカバンが残されているわけはないと半分あきらめている。服屋につくと店長がいて、なぜかその人は高知カオティックノイズのI店長なのである。きょろきょろとまわりを見回すと、店の片隅に案の定カバンが打ち捨てられていた。汚れて、痛み果てたそれを開くとなかは空っぽ。思わずあっと大声をあげてしまう。そしてその一部始終を田舎に待つ母にぶちまけようと家に帰ると、留守番電話がたくさん入っていた。そのときは修学旅行中なので家は実家しかないのだが、まぁ夢なのでそのときは現在になっているのだった。再生すると母からで、無数のメッセージが入っている。「あんたどうしゆで。栄養のあるもんを食べないかんで」「高知新聞に出ちょったけんどね、車の運転は気をつけないかん」…なにか、過去に聞いたことのあるセリフばかりなのである。すごく懐かしい気持ちになって、カバンを失くしたことを忘れていた。夢から覚め、相方にその話をすると「誕生日に、お母さんの声がきけてよかったじゃない」と。この日は誕生日だったのを思い出し、そうかと、ひどく納得してしまったのでした。
(遅ればせながら6月17日に見た夢の話)

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「 栃木のうずらフン」、フン闘す。

というわけで(?)小ネタです。自宅のプランターで育ててる茄子が順調に実をつけました。茄子焼きで食しましたが美味。テントウムシで葉が少々食害にあいましたが大事に至らずです。もちろん肥料は、生石灰入り「純正有機肥料 栃木のうずらフン」。これからはちょこちょこと追肥して長く収穫したいなと。うずらフンを長年使用する那須烏山のエコファーマーH本先生いわく「追肥は人間と同じで、たくさんあげても一度には消化できない。少しづつ、ちょこちょことあげるのが効果的」。特に茄子は肥料を好む野菜だそうですので追肥が重要かもです。しかし栃木に来て肥料づくりに携わるとは想像もしてなかった私。栃木で生まれたものを栃木の土に返す。微々たる行為ですが自然の循環を感じられてなかなかにいいものですわ。

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渡辺紘文監督作品『七日』大田原上映観た

4月24日、大田原市那須与一伝承館で渡辺紘文監督の「そして泥船はゆく」につづく新作「七日」を観てきました。110分モノクロ作品、セリフなし、キャストは監督自身と監督のおばあちゃんの二人のみという設定に、逆に楽しみは膨らんでいましたが、期待にたがわず実験的要素もたっぷり。長回しや執拗とも思える反復。朝起きてゴミ出しに行き、食事をし、牛舎に働きに出て、日が暮れるとともに帰り、また食べて寝る。一見単調に見える生活にもちょっとしたシーンに人間的で、豊かな情緒が見え隠れする。バナナをちぎり、残ったバナナをおばあちゃんの手の届きそうな位置になにげなく置く。たった二人の生活なのにゴミは毎日のように出る。牛舎では牛糞を毎日スコップで集め、ときにふと手で握る。排泄ということと捨てるということが強調される意味。それに反してこたつの下のサイダーが一向に減らないのはなぜか。主人公がひとり孤独に、牛舎の行き帰りを毎日歩くのを、長身の撮影監督バン・ウヒョン氏が息遣いまできこえるようなすぐ後ろから、そしてちょっと高い位置から追い続ける。ひとりなのに温かみのあるシーンに仕上がっている不思議。ヴェンダースロードムービーを連想しつつも、それとは間逆な日々の営みの象徴のよう。音楽監督渡辺雄司氏の音楽は、なぜかコリン・ニューマンのミニマルミュージックのようにもきこえ、映像を輝かせる。こたつの2面のどちらかに座る主人公は、どちらもなぜか右の横顔をキャメラはとらえますが、一度だけこたつの手前にドーンとお腹をだして爆睡する主人公のユーモア。おばあちゃんの最大の見せ場にもなりましたがそれはぜひ見てのお楽しみ。謎かけばかりでおわってあれですが、渡辺兄弟の既成概念をぶち破るかのような冒険心と意欲あふれる本作に敬意を表したいと感じました。

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寄稿:てめえらふざけんな2016(文:スミオ)~40年前に片岡理がつぶやいたこととは?─高校時代の同級生、スミオさんが語る極私的追悼メモ

みなさん、はじめまして。
スミオです。

1975年から77年にかけて、
片岡クン(土佐高では「りーちゃん」と呼ばれてました)といっしょに、
土佐高校ギター部に在籍しておりました。

僕は、りーちゃんとはずっと疎遠で、
音楽活動もよく知らなかったのですが、
ギタリストとしての修行時代を見てきたわけですから、
彼とその音楽に興味をもつ方々のために、
メモを残しておきたいとおもいます。

なお、Zoothornさんによれば、
土佐高校には変人が多いということですが、
以下も変人っぽい方々が登場しますが(笑)、
これはあくまでも僕のゆがんだ精神を通過することで、
楽音を歪ませているだけですので、
そこんとこ、ヨロシク。

さあ、行こうぜ
40年前の世界へ

(土佐高校ギター部)

当時、ギター部は、各学年3~5人おりまして、
全体で20人くらいでした。
顧問はイノウエ先生といい、
たいへん上手なギタリストで、
本職は英語の先生でした。

ギター部ではクラシックギター専門でして、
「カルカッシ ギター教則本」という本に沿って
毎日、地味に練習するわけです。
例えばこういうワルツ

https://www.youtube.com/watch?v=GLRHlAUJDPY

要するに、
C、D、E、Fといったコードをそのまま弾いたり、
アルペジオに分解して弾くわけです。
一音、一音、きれいに、はっきりと、
正しいリズムで弾く練習をします。

あと、半音階の練習とか

https://www.youtube.com/watch?v=dKTQWtG4KJc

トリルの練習とか

こういう練習を、えんえんとやっていたわけですね。

これがつらい。面白くない。
練習曲も、なんかつまらない。
まあ、僕はギターとか演奏に向いてなかったわけですな。

僕の学年には、
りーちゃんの他、
ハマダくん、ヨーセイ、イトウくん
の三人がいました。

(クラシックギター部で何をやりたいの?)

僕は、映画の「禁じられた遊び」を見て、
これをクラシックギターで弾けたら良いなあと思って始めたクチで、
もともと音楽の才能も深い興味も何もありません。

金髪ロリ美少女と交際できないので(阿呆)、
そのかわりに可愛い楽曲を弾けたら良いなあと思ったわけです。

だから、音数が少なくてすむ割に、
可愛くて響きの良い
印象派っぽい楽曲を好んで弾いてました。

「ラグリマ」 by タレガ
https://www.youtube.com/watch?v=Jot7Q9n7L9U

アデリータ」by タレガ

https://www.youtube.com/watch?v=meFevswf_68

ワイスの「ファンタジア」もきれいだが、
少し敷居が高いなと、そういうレベル。

https://www.youtube.com/watch?v=Iq2_ax6Ltyc

嫌いなのは、音数が多く、超絶技巧で、
しかし和声がつまらない楽曲(僕が勝手に思うだけです)。

グラン・ソロ  by ソル

https://www.youtube.com/watch?v=9oS8r-p8Y1g

いや、弾けるわけはありませんが、そもそも興味が湧かない。

部長のナカガワさんは、
ギターを集中して必死で弾いてる人で、
うまかったです。
こういうのをよく弾いてました。

「アラビア風綺想曲」 byタレガ
https://www.youtube.com/watch?v=YLNKsTznFMw

アストゥリアス」 by アルベニス

https://www.youtube.com/watch?v=W0IuKBCLYdU&spfreload=10

ナカガワさんは、なんでものめり込むタイプらしく、
ハヤカワミステリブックスをほとんど読んだと聞いてます。
合宿のときにも、消灯後に、布団の中で懐中電灯の光でミステリを読んでおり、驚きました。
彼も、ロマンティックな楽曲に惹かれるタイプですね。
ただ集中力が違う。

ヨーセイくんは、
当時すでに珍しかった旧制高校風の教養派でして、
ド田舎にもかかわらず、著名な交響曲のスコアを持っていて、
読んでいるという話でした。
2年の文化祭では、
モーツァルト交響曲40番第一楽章のスコアを、
彼が五人合奏用にアレンジし、
演奏した記憶があります。

https://www.youtube.com/watch?v=N4JBduI1O1c

一学年下にもギターのうまいタケチくんという方がおり、
真面目に練習していて、順調に上達しており、
最後はかなりの難曲を弾きこなしていました。
僕はとても演奏に感心していましたが、
同時に、その楽曲の古典っぽい和声が好きではなく、
曲名も、どうしても思い出せません。

(りーちゃんの不思議)

ところが、りーちゃんについては、
クラシックギターの楽曲への思い入れやこだわりが、
感じられませんでした。
好きな楽曲の話が出ないし、
あまり楽曲には興味なさげなので、
不思議に思っていました。
他の子とちょっと違うわけです。

かれのクラシックギターは、
音程もリズムも正確で、
律儀に弾いている感じでした。
ただ、もちろん僕よりはずっとうまかったわけですが、
それ以上にうまくなって難曲を弾きこなそうというような熱意は
感じられなかったわけです。

あるとき、かれがバンドを組んで演奏をしていたという話を聞きました。
また、ときどき当時流行のロックやフュージョンの話を少しだけすることがありました。

ただ、僕は商業音楽に興味がなかったし、
こういう話についていける子は、
クラシックギター部にはいなかったようです。

あるとき、かれがロックを聴いてみたらと言って、
勧めてくれたのがPFMで、
クラシック寄りだから入りやすいだろうと、
少し、はにかんだ感じで勧めてきました。
「これはよほどロックが好きなんだなあ」と思った記憶があります。
(PFMは聴きましたが、ピンとこなかったですね)

本当はバンドをやりたいんだろうなあと。

いま考えると、りーちゃんは、
クラシックギター楽曲にはあまり興味がなくて、
ギター修行に来てたのかな。

そういう意味では、
クラシックギターの、正しいリズムで正確に弾く練習は、
バンド活動で役に立ったのでしょうか。

(楽器の練習について)

あるとき、部室で、りーちゃんが、
ぼそっと呟いたことを、
なぜか今でも覚えています。

「ピアノ演奏家って、
一日に10時間も練習する言うけんど、
そんなことに意味あるがやろうか?
旅とかにでて、
感受性を磨くほうが、
ずっと大事やないろうか?」

これを聞いて、
ちょっとビミョーな感じがしましたね。
クラシックの演奏家は、
もともと長時間練習しても苦にならないような人がなるわけなので、
そういう考え方をしないんじゃないかなあ
と思ったことを覚えています。
例えば、ナカガワさんやヨーセイやタケチくんは、
そういうことは言わないだろうなと。

りーちゃんは、バンドをやって、
曲を書きたいのかなあと。

(ギター部の部員ノートと詩)

ギター部には、部員ノートが備えつけてあり、
順番に持ち回りでノートに何か書くことになっていました。

ここで、りーちゃんは、いつも詩を書いてくるのですが、
この詩が、何を言いたいのか、さっぱりわからないわけです。

りーちゃんには、普通思いつかないような、
意表をつく言葉の組合せを考え出す才能がありました。
それは、まぎれもなく、詩人の才能なのですが、
ただ、かれがノートに書いた詩は、
何を伝えたいのか、さっぱりわからないわけです。

あるとき、ナカガワさんが、りーちゃんの詩に対してコメントを書いてきました。

りーちゃんの詩は、技巧は完成されていて、上手で感心するが、
しかし何も伝わってくるものがない。
それより、文章は下手くそでいいから、
自分の言いたいことをストレートに言葉にするほうが、
自分は好きだというものでした。

僕も、ナカガワさんの言うとおりだとおもいました。
りーちゃんの詩は、技巧的には面白いけど、
かれの見ている「世界」が伝わってこないようだと。
それだと「詩」としては成立していないのではないかと。

(詩ではなく、歌詞)

高校3年で受験前になってギター部を引退した後は
りーちゃんと顔を合わせることも少なくなり、
卒業後はほとんど会うこともなかったわけですが、
最近、彼の逝去を知り、
またネットで音楽活動の一端を知ることができました。

そこでちょっと驚いたこと。
どの楽曲からも、あの幻のギター部ノートに独特の文字体で彫り込まれた「詩」が、
より明確な心象をもって立ち上がってくる。

例えば、ランリー・YOU

「いつの日からかそれが 始まることになっちまい
突然そうに見えて 土の下では違ってた

みんなが望んだことらしく
誰もが決めたことらしい

そいつはまやかし 大違い
知らないうちに 思うつぼ

誰が始めた 誰がゆるした
おれもあんたも あんたもおれも」

りーちゃんがノートに、無償で、なにやら憑かれたように書きつけていたのは、
「詩」で完結するものではなく、
「歌詞」だったのだ。

かれの抱え込んだ、あるいは何者かに抱え込まされたイメージは、
言語だけで表現できるようなものではなく、
楽曲をともなって、
はじめて立ち上がってくるものだったのだ。

詩人ではなく、もしかすると音楽家でさえもなく、表現者

彼が抱えていた、あるいは何者かに抱え込まされていた、
もともと他人と共有することが困難なイメージは、
おそらくほとんどは他人に見えるような形態の獲得に到達することなく、
彼とともに、薄明の世界へと、去ってしまったのだろうか?

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