哲やメシ喰わるるば死なんバイと母
(川上哲治追悼句)
亡くなる少し前まですきやきや鰻を平らげていたという川上哲治。苦しいときにはまず食べるという信条はお母さんの教えからきているそうな。川上は戦後すぐには巨人には戻らず、家族を養うために故郷の熊本人吉で農業を営んだ。哲治は8人兄弟の長男で、父は他界し、母は日雇いをして子供を育てていたからだ。巨人が川上に選手復帰を請うと、「3万円くれるんなら復帰してもいい」と交渉した。農業でも研究を重ね、単位面積当たりの収穫量トップ(熊本県)を成し遂げたというから農業でも首位打者だった。また人糞肥料の具合を確かめるべく、舐めてたしかめもした。それをきいた青田昇は「きったねぇな」「おれにはできない芸当だ」と。
三原巨人では3番青田、4番川上。川上は「本塁打では青田を超えることはできない」と臆面もなく言った。自分にはない能力を持ち、ズケズケものいう後輩青田はある意味かわいい存在でもあったろう。めったに人に心を開かない川上も青田には故郷のこと、母のことを数多く語っている。二人は久々に天国で再会したことだろう。