ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

寄稿:てめえらふざけんな2016(文:スミオ)~40年前に片岡理がつぶやいたこととは?─高校時代の同級生、スミオさんが語る極私的追悼メモ

みなさん、はじめまして。
スミオです。

1975年から77年にかけて、
片岡クン(土佐高では「りーちゃん」と呼ばれてました)といっしょに、
土佐高校ギター部に在籍しておりました。

僕は、りーちゃんとはずっと疎遠で、
音楽活動もよく知らなかったのですが、
ギタリストとしての修行時代を見てきたわけですから、
彼とその音楽に興味をもつ方々のために、
メモを残しておきたいとおもいます。

なお、Zoothornさんによれば、
土佐高校には変人が多いということですが、
以下も変人っぽい方々が登場しますが(笑)、
これはあくまでも僕のゆがんだ精神を通過することで、
楽音を歪ませているだけですので、
そこんとこ、ヨロシク。

さあ、行こうぜ
40年前の世界へ

(土佐高校ギター部)

当時、ギター部は、各学年3~5人おりまして、
全体で20人くらいでした。
顧問はイノウエ先生といい、
たいへん上手なギタリストで、
本職は英語の先生でした。

ギター部ではクラシックギター専門でして、
「カルカッシ ギター教則本」という本に沿って
毎日、地味に練習するわけです。
例えばこういうワルツ

https://www.youtube.com/watch?v=GLRHlAUJDPY

要するに、
C、D、E、Fといったコードをそのまま弾いたり、
アルペジオに分解して弾くわけです。
一音、一音、きれいに、はっきりと、
正しいリズムで弾く練習をします。

あと、半音階の練習とか

https://www.youtube.com/watch?v=dKTQWtG4KJc

トリルの練習とか

こういう練習を、えんえんとやっていたわけですね。

これがつらい。面白くない。
練習曲も、なんかつまらない。
まあ、僕はギターとか演奏に向いてなかったわけですな。

僕の学年には、
りーちゃんの他、
ハマダくん、ヨーセイ、イトウくん
の三人がいました。

(クラシックギター部で何をやりたいの?)

僕は、映画の「禁じられた遊び」を見て、
これをクラシックギターで弾けたら良いなあと思って始めたクチで、
もともと音楽の才能も深い興味も何もありません。

金髪ロリ美少女と交際できないので(阿呆)、
そのかわりに可愛い楽曲を弾けたら良いなあと思ったわけです。

だから、音数が少なくてすむ割に、
可愛くて響きの良い
印象派っぽい楽曲を好んで弾いてました。

「ラグリマ」 by タレガ
https://www.youtube.com/watch?v=Jot7Q9n7L9U

アデリータ」by タレガ

https://www.youtube.com/watch?v=meFevswf_68

ワイスの「ファンタジア」もきれいだが、
少し敷居が高いなと、そういうレベル。

https://www.youtube.com/watch?v=Iq2_ax6Ltyc

嫌いなのは、音数が多く、超絶技巧で、
しかし和声がつまらない楽曲(僕が勝手に思うだけです)。

グラン・ソロ  by ソル

https://www.youtube.com/watch?v=9oS8r-p8Y1g

いや、弾けるわけはありませんが、そもそも興味が湧かない。

部長のナカガワさんは、
ギターを集中して必死で弾いてる人で、
うまかったです。
こういうのをよく弾いてました。

「アラビア風綺想曲」 byタレガ
https://www.youtube.com/watch?v=YLNKsTznFMw

アストゥリアス」 by アルベニス

https://www.youtube.com/watch?v=W0IuKBCLYdU&spfreload=10

ナカガワさんは、なんでものめり込むタイプらしく、
ハヤカワミステリブックスをほとんど読んだと聞いてます。
合宿のときにも、消灯後に、布団の中で懐中電灯の光でミステリを読んでおり、驚きました。
彼も、ロマンティックな楽曲に惹かれるタイプですね。
ただ集中力が違う。

ヨーセイくんは、
当時すでに珍しかった旧制高校風の教養派でして、
ド田舎にもかかわらず、著名な交響曲のスコアを持っていて、
読んでいるという話でした。
2年の文化祭では、
モーツァルト交響曲40番第一楽章のスコアを、
彼が五人合奏用にアレンジし、
演奏した記憶があります。

https://www.youtube.com/watch?v=N4JBduI1O1c

一学年下にもギターのうまいタケチくんという方がおり、
真面目に練習していて、順調に上達しており、
最後はかなりの難曲を弾きこなしていました。
僕はとても演奏に感心していましたが、
同時に、その楽曲の古典っぽい和声が好きではなく、
曲名も、どうしても思い出せません。

(りーちゃんの不思議)

ところが、りーちゃんについては、
クラシックギターの楽曲への思い入れやこだわりが、
感じられませんでした。
好きな楽曲の話が出ないし、
あまり楽曲には興味なさげなので、
不思議に思っていました。
他の子とちょっと違うわけです。

かれのクラシックギターは、
音程もリズムも正確で、
律儀に弾いている感じでした。
ただ、もちろん僕よりはずっとうまかったわけですが、
それ以上にうまくなって難曲を弾きこなそうというような熱意は
感じられなかったわけです。

あるとき、かれがバンドを組んで演奏をしていたという話を聞きました。
また、ときどき当時流行のロックやフュージョンの話を少しだけすることがありました。

ただ、僕は商業音楽に興味がなかったし、
こういう話についていける子は、
クラシックギター部にはいなかったようです。

あるとき、かれがロックを聴いてみたらと言って、
勧めてくれたのがPFMで、
クラシック寄りだから入りやすいだろうと、
少し、はにかんだ感じで勧めてきました。
「これはよほどロックが好きなんだなあ」と思った記憶があります。
(PFMは聴きましたが、ピンとこなかったですね)

本当はバンドをやりたいんだろうなあと。

いま考えると、りーちゃんは、
クラシックギター楽曲にはあまり興味がなくて、
ギター修行に来てたのかな。

そういう意味では、
クラシックギターの、正しいリズムで正確に弾く練習は、
バンド活動で役に立ったのでしょうか。

(楽器の練習について)

あるとき、部室で、りーちゃんが、
ぼそっと呟いたことを、
なぜか今でも覚えています。

「ピアノ演奏家って、
一日に10時間も練習する言うけんど、
そんなことに意味あるがやろうか?
旅とかにでて、
感受性を磨くほうが、
ずっと大事やないろうか?」

これを聞いて、
ちょっとビミョーな感じがしましたね。
クラシックの演奏家は、
もともと長時間練習しても苦にならないような人がなるわけなので、
そういう考え方をしないんじゃないかなあ
と思ったことを覚えています。
例えば、ナカガワさんやヨーセイやタケチくんは、
そういうことは言わないだろうなと。

りーちゃんは、バンドをやって、
曲を書きたいのかなあと。

(ギター部の部員ノートと詩)

ギター部には、部員ノートが備えつけてあり、
順番に持ち回りでノートに何か書くことになっていました。

ここで、りーちゃんは、いつも詩を書いてくるのですが、
この詩が、何を言いたいのか、さっぱりわからないわけです。

りーちゃんには、普通思いつかないような、
意表をつく言葉の組合せを考え出す才能がありました。
それは、まぎれもなく、詩人の才能なのですが、
ただ、かれがノートに書いた詩は、
何を伝えたいのか、さっぱりわからないわけです。

あるとき、ナカガワさんが、りーちゃんの詩に対してコメントを書いてきました。

りーちゃんの詩は、技巧は完成されていて、上手で感心するが、
しかし何も伝わってくるものがない。
それより、文章は下手くそでいいから、
自分の言いたいことをストレートに言葉にするほうが、
自分は好きだというものでした。

僕も、ナカガワさんの言うとおりだとおもいました。
りーちゃんの詩は、技巧的には面白いけど、
かれの見ている「世界」が伝わってこないようだと。
それだと「詩」としては成立していないのではないかと。

(詩ではなく、歌詞)

高校3年で受験前になってギター部を引退した後は
りーちゃんと顔を合わせることも少なくなり、
卒業後はほとんど会うこともなかったわけですが、
最近、彼の逝去を知り、
またネットで音楽活動の一端を知ることができました。

そこでちょっと驚いたこと。
どの楽曲からも、あの幻のギター部ノートに独特の文字体で彫り込まれた「詩」が、
より明確な心象をもって立ち上がってくる。

例えば、ランリー・YOU

「いつの日からかそれが 始まることになっちまい
突然そうに見えて 土の下では違ってた

みんなが望んだことらしく
誰もが決めたことらしい

そいつはまやかし 大違い
知らないうちに 思うつぼ

誰が始めた 誰がゆるした
おれもあんたも あんたもおれも」

りーちゃんがノートに、無償で、なにやら憑かれたように書きつけていたのは、
「詩」で完結するものではなく、
「歌詞」だったのだ。

かれの抱え込んだ、あるいは何者かに抱え込まされたイメージは、
言語だけで表現できるようなものではなく、
楽曲をともなって、
はじめて立ち上がってくるものだったのだ。

詩人ではなく、もしかすると音楽家でさえもなく、表現者

彼が抱えていた、あるいは何者かに抱え込まされていた、
もともと他人と共有することが困難なイメージは、
おそらくほとんどは他人に見えるような形態の獲得に到達することなく、
彼とともに、薄明の世界へと、去ってしまったのだろうか?

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