ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

川俣軍司の深川通り魔殺人事件があったのは私の誕生日だったことをいまさら知ったことから、和田哲郎さんとのエピソードまで

唐十郎が83年放送の「訪問インタビュー」で佐川くん事件を語るのを見た。そのころほぼ同時に大きな事件がふたつあったとして、深川通り魔事件のことにも触れた。で、そのとき「なんていいましたっけ」と川俣軍司の名前が結局出てこなかったことが意外で引っかかった。たった2年前の事件というのになぜだろう。気になって調べたら佐川くんパリ人肉事件は1981.6.11で、川俣軍司の深川通り魔事件は6日後の1981.6.17。ここではじめて川俣の事件は自分の誕生日だと知った…。

たとえば三島の命日11月25日は、ぼくの母親の誕生日なので、毎年三島割腹自殺が語られるたびにぼくは母親の誕生日を思い出すことになっている。自分や家族の誕生日に大きな事件があれば、誕生日のたび思い出すことになると考えればその事件は自分とは無関係ではないということになる。

川俣軍司という名前をきくとひとつ思い出すことがある。84年11月に連続射殺魔(バンド名です笑)の和田哲郎さんにインタビューしたとき、和田さんが「川俣軍司」について、「ああいう人は出て然るべきだし、出なきゃ余計気持ち悪いと思うし、かわいそうだなとすごく思う」と語ったのだ。そのときぼくが明確に気持ちを語れなかったときに「じゃあ君は、はっきりしたあれがないんだ。世の中いやじゃないって言ってんだ」と責められるようなシーンがあった。個人的にはもっとも記憶に残ったやりとり。そのとき、でもそういわれつつも、和田さんの気持ちに理解も共感もできたことはなんとなく記憶にある。共感という言葉を誤解を恐れずに言えばだけど。いや、和田さんとはフレンドリーな取材ができたし、その後もライブでご挨拶したり、ぼくらのミニコミのライブ企画にも出演していただいたり、いい思い出がたくさんある。

川俣事件がいまさら自分の誕生日とわかったことで、今後自分の誕生日には川俣のことを思い出すことは結果よかったのだと思う。通り魔事件などが当時ほどめずらしくなくなった今、事件を憎むとと同時に事件が起こった背景をあらためて考えることになるのだから。

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「Fragile」9号(1985年3月発行)より。同じ号にザ★スラッヂインタビューも掲載されてます!