ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

南海放送「杉作J太郎のファニーナイト」セレクション (2026年7~8月)

mixi日記の最後あたりに残してるテープ起こし的メモです。Jさんが語ってるんだか、それを説明してるんだかよくわからない部分もあるが、その場の走り書きメモの良さもあると思うのであえてそのままで。自分的には貴重な記録。


■(7/4放送分)木戸修選手の入場です!木戸修のテーマ曲の話から、ポマードで固めたヘアスタイルのこと、Jもポマードあてて松山の銀天街を同級生とあるいてたら、通りの売り子に「お父さんも買ってって」と言われたのですぐやめた。ポマードは横になったりすると床の汚れがつく。コロピタみたいに。コロピタの紙をトイレットペーパーと間違えたら大変。うわ~、お尻にくっついたよ!…いや、はしゃいでる場合ではないんです。はしゃげる状況じゃないんです、どっちみち。どのみち。といい、黒崎輝さん訃報に触れる。大変親しくさせていただいたと。トゥナイトでルポライターの生江有二さん(愛媛出身の金子正次(「竜二」主演)本などの著作有)に女優さんがやってる店に行こうと誘われ、行ったら飛鳥裕子さん。少女地獄主演。後ろでたこ焼き焼いて、煙で見えないけど、注文したらどこかで見た顔。黒崎さんだった。Jと学年が同じ。最近裕子さんと結婚したと。それからボトルをいれて通うようになった。

■すつうロマン(7/14放送分)テーマ夏休み。内田名人はプールは好きだけど更衣室が苦手。裸足で床に触れる状況。とくに絆創膏がぷかぷか。J:ジョーズは?ロマン:(夏休みと)かけ離れすぎてませんか笑。劔:「女優霊」は見てほしい。J:中田秀夫の顔を見るまで落ち着きませんでした。ロ:なんで落ち着いたんですか笑。J:穏やかな顔されてるから。伴宙太みたいな。ミスターポーゴさんみたいな…。

 

■(7/18放送分)7/16に亡くなった作曲家・渋谷毅さん(86歳没)追悼で、杉Jによる映画監督・内藤誠さん(90歳)電話インタビューが貴重だった。というか尊いものだった。以下、内藤誠さんの一人語り風。
■渋谷さんには大変お世話になりました。三上寛の歌でシナリオ書いて監督した映画「ネオンくらげ」(1973)では、三上寛は曲を譜面にできないので実際は渋谷さんが採譜してくださった。それをもとに坂田明や中村誠一が音楽を入れてくれた。
■色川武大原作の「明日泣く」(2011内藤監督)のときも音楽を渋谷さんにお願いして大変楽しく仕事ができました。色川武大の奥さんも「すごくいい」って言ってくださってごちそうなんかしてくれた。これは先に渋谷さんの音楽ができて、それに合わせて撮っていった。上映会には渋谷さんも来てくれて、うちの家内と一緒に座って楽しんでくれて、嬉しかったですね。
■(渋谷さんとは)どこで知り合ったのかなぁ。当時坂田や中村誠一と一緒にメンバー入ってやってたから。筒井(康隆)さん原作の「スタア」(1986内藤監督)には坂田、中村、山下洋輔も出てくれてるけど、渋谷さんは「スタア」には関わっていない。渋谷さんと共同で仕事をしたのは「明日泣く」が「ネオンくらげ」以来でした。
■どっちも東映ビデオにあるので渋谷さんを偲んで上映できればいいなと思ってます。私は映画界に入ったときは黄金時代だったけど、監督になってからは低予算の映画をつくる羽目になっちゃった。モダンジャズが好きでジャズ喫茶でいつも聴いてたから、僕の映画は八木正生さん(ピアニスト、作編曲家1932-1991)なんか含めていつもジャズ系統の人にやってもらってました。フルバンドでは予算がないから。(余談ですけど「明日泣く」でのJの演技は?)杉作さんですか?面白かったですよ(笑)

 

■(7/29放送分)熊本地震が時間経つにつれ被害も大きくなっている。熊本にはお世話になりました。高野拳磁がPWCたたんで九州で西日本プロレスを立ち上げた。高野さんが呼んでくれた。東芝EMIのキメさんとジョーカー工藤と3人で行った。飛行機代もホテル代もだしてくれたんです。そのころ高野はピザーラのCMでたり、めちゃイケやリングの魂も出て人気者。協賛もついていたんでしょう。「夜、焼き肉食べいこう」なんていって、熊本の繁華街のわりといい店に。焼き肉食べ放題。絶好調の高野が「おい、もっと頼もう。そして余ったらさ、タッパーに入れてもらってさ持って帰ろう」そんなこと通るわけないだろうと思ってね…お店の人「それは勘弁してください。ここで食べる分だけですよ」みたいな。そしたら「Jさん、ここはあれだよね、割勘にしようね」。エッと思ったんですけど(笑)えッと思うのもあれですけど、まぁそうだよな、飯代まで出してもらわんでもと。そして店出ようとしたら、熊本の地元の人のサイン攻め、お店の人も。みんな感じのいい人でね。高野もご満悦みたいになって。帰るに帰れない、時間も過ぎてて「おい、もう帰ろうぜ!」「もう行くよ」みたいな。で言うんですよ、「あーJさん、ここの払いは俺が払っとくわ!」…ま、みたいなことがありましたね。

■(8/6放送分)トゥナイトのオープニング曲はシャカタクの「ナイト・バーズ」。トゥナイト2は違う。「いやあ、ほんとびっくりしました。利根川裕です」みたいな。トゥナイト2は平和の象徴みたいな番組。タモリ「よく出てるね~」J「いやあ僕はタモリ倶楽部にもっと出たいです」タモリ「いやあ、おれは、トゥナイトのほうがいいけどな~」/井上梅次監督とと石井輝男監督について。山根貞男と石井輝男がタクシー車中で、山根「石井さんの作品、あの映画にそっくりだけど、大丈夫?」「いやあ、梅ちゃんには負けるよ」。井上梅次と石井輝男はともに明智小五郎大好き。「パノラマ島奇談」も映画もしくはテレフィーチャ―で撮ってて、どっちにも小池朝雄が出てくる。ふたりとも岡田奈々が好き。井上梅次監督脚本「江戸川乱歩「暗黒星」より黒水仙の美女」。天知茂主演。美女シリーズ第5作。トメが岡田英二。

■(8/11放送分)石井輝男エピソード。「無頼平野」の撮影中、日活撮影所の食堂?音楽の鏑木創(かぶらぎはじめ)「ぼくは作業中だし、コーヒーとサンドイッチにしようかな」石井輝男「ぼくね、カレーとラーメン!」。
小川真由美追悼。今年3月に86歳で死去。石井輝男「実録三億円事件 時効成立」夫役は岡田裕介。ドラマ「アイフル大作戦」、近藤照男プロダクション。第1話、エンディング日比谷公園?のシーン。フランス映画みたいで素晴らしい。

■「すつうロマン」(8/11放送分)納涼おばけ祭り。
●漫画:ムロタニツネ象「地獄くん」、つのだじろう「呪狂介PSI霊査室」。J「『恐怖新聞』は中学のときは来たらどうしようと思ってた。寿命縮まる。今の俺だよ、来たら怖いのは」内田「来てたんじゃないですか。溜まってるだけで」(爆笑)。ロマン「呪狂介は恐怖新聞よりイヤな話が多くて、そこがいい」。
●月曜ドラマランド「ゲゲゲの鬼太郎」。小林義明監督、赤星昇一郎(怪物ランド)が子泣き爺、ぬらりひょんは夏樹陽子。ぬらりひょん=あの人だれだっけ?みたいになる妖怪。一番忙しい時に現れる。いるだけ。邪魔はしない。ぬらりひょんが妖怪の総大将と呼ばれるようになったのはドラマランドからと言われている。冷静になった時にだれだっけ?みたいになる人。劔「昔下宿先にしらないおじいさんがきてた。大家さんも大雑把な人で、会ってもどうも、みたいな」。ロマン「ライブの打ち上げとか、出版記念パーティにいる、よくわからない人」
■(刈谷メモ)そういえば1980年頃、東小金井の寮は日立系のいくつかの会社の人がいたせいか、誰なのか知らない人が何人もいた。それをいいことに、友人を連れてきては深夜の食堂で一緒にカレーを食べたり、友人も風呂に入ったりして、風呂場でだれかと遭遇してもお互い干渉することもなく特別不審にも思われなかったと。私も風呂場で知らない人と入ってることが何度もあった。そんな時代だったこともあるだろうが、不安に思うのではなく、そんなぬらりひょん的存在をなんとなく容認することで心の平安を得ていたのかも。みたいな。

■番外編:ニッポン放送「ナイツ ザ・ラジオショー」杉Jゲスト回(8/12放送分)
GYAOのナイツ冠番組(20年位前?)パイロット版、4回収録のうち2回出演。連絡来て「あれはなくなりました」。爆笑。収録の時は始まりそうだった。爆笑。その日ファミマのポイントカード亡くした件。カード持ってなかったら買い物する気しない。まわりに評判悪い、時間かかるから。血相変えて(自分ではわからないですけど)(爆笑)スタジオ戻って探してたら、片づけてると思われて「杉作さん、そんなことしなくていいですよ」(爆笑)。ファニーナイトは当初週7日やってた。ナイツさんだけがそれを凄いと言ってくれた。(ナイツは週5?だった)。ナイツ「タモリさんとみのもんた、どっちもやってるみたいな」「徹子の部屋にタモさん出てる回でしょ、今これ?」。いまは週4。火水木土。金はどうなんですか。(重要→)Jもね、1日空いたりすると、この1日が嬉しいとあと6日がつまんなくなる。曜日の差がでたら自分に波がでちゃう。最初は週6の提案。「いやあ、週7ならできるんですけど」と。週7だったら、いろんなこと断りやすくなる。(爆笑)これいうと私の番組無くなるかもですが、週7になると7日が休みみたいになる。今晩もあるんですけど、遊びに行くみたいな。(爆笑)(ワンオペについて)ナイツ「Jがおかしくなったら怖い。J次第」(爆笑)だからあれですよ、これにいちばん近いのは藤原竜也さんがバトルロワイヤルでやってたやつ。(爆笑)(こわっ!)毎日がバトルロワイヤル。(爆笑)…などなどかなりスパーク。2回聴いてしまう。

■(8/20放送分)和田彩花さん、巫まろさんが南海放送グレースホールにやってくる!なんにしても言いたいことはこれだけ。みたいな話から以下に展開。
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Jもいろんな人に会っている、たとえばごっちん。もうハロプロ、アップフロントの人ではないが、会社が違っても「知らんがな」ということはない。
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Juice=Juiceの今年の快進撃。春のマクドのCMで発売初日に、初日のイニシャルを上げなきゃ、その日のうちにTikTokに上げなきゃとマクドへ。他のTikTok見たら、かつてアップフロントにいて、もうやめてる元スタッフも食べに行っていた。
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混んでいて、共有テーブルしか座れなかったが、そこには幸せそうなアベックもいた。
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でも実際は幸せかはわからない。殺人計画を練っていたのかも知れない。悪だくみしている人って見破れない。
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江戸川乱歩「白髪鬼」の翻案、明智小五郎を演じた天知茂主演の美女シリーズ「宝石の美女」。井上梅次監督。脚本:宮川一郎。主演:田村高廣、妻役:金沢碧。
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金沢碧さん「俺たちの旅」の第1回でとんでもないことがあった。以下略…。(言わなかったが着替えのシーンで胸があらわに。それをオメダが見て大ショック。再放送ではモザイク?)
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その金沢碧が「宝石の美女」では、浮気相手の画家役:小坂一也と共謀。夫の田村高廣を地獄岩から突き落とした。
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田村高廣は坂妻のご長男。その下が「パパはニュースキャスター」「古畑任三郎」の正和。その下が田村亮。
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田村亮はなんといっても「松本清張・事件に迫る」での太宰治役がよかった。同シリーズでは松橋昇が芥川龍之介を演じた。どっちもよかったけどね~。
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Jは高廣のお芝居、雰囲気が大好きでねぇ、これがほんとに。バラエティ番組に後ろのひな壇でハンカチ持って汗拭きながら出演。「演技ならいいんですけどね、こういうのは苦手で」と言ってました。(と、どんどん話題が枝分かれしていく)
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なんせ金沢碧が「ねぇあなた、魚が跳ねてるわ」と海を指し、高廣が海を覗いた瞬間に突き落とした。死因を偽装しようと心臓麻痺の診断書を頼むが、頼まれた女医は奈美悦子。「それには条件があるわ」「病院のお金でしょ。わかったわ」みたいな展開。
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Jはこれ200回は見てますからね。あとは高橋悦史みたいな顔した白髪鬼の漫画を昔描きました。あれはなにかの単行本に収録されて、ますよね??
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ま、なんにしてもですね…。なんにしてもって何コレ?
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なんにしてもっていえば、南海放送に和田彩花さん、巫まろさんがいらっしゃるということですからね。なんで白髪鬼の話になったんですか?
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とにかくお二人に面と向かって会うのははじめてなんですよ。和田さんにも伝えたいことがある。福田花音(巫まろ)さんには昔の青山劇場ハロプロミュージカルの感激・感動を伝えたい(15年ほど前?)。これを伝える日がこようとは…。
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(このあと曲などかけたあと、マクドでの「アベック」の会話から白髪鬼に展開したことを思い出し、「すべて回収できましたね」となる。この間、30分ほど。まさに怒涛の展開。)
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(最後に「宝石の美女」の名場面を再現)。天知「あなたの作戦は完ぺきだった。でもあなたは自分の策に酔っていたんじゃないですか」高廣「明智さん、それは違う。それはね、死を覚悟したもののゆとり。そういうものだよ」…これは美女シリーズの最高峰の演技だと思いますね。この2人の対決。それを彩ってるのは小坂一也。この田村高廣、小坂一也はその少し前のATG曽根中生監督「不連続殺人事件」の主演グループだった。
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長谷川和彦「青春の殺人者」は撮影中フィルムがなくなった。制作にいた相米慎二が、おなじATGということもあり曽根組にフィルムをもらいに行った。皆さん、もとは日活撮影所の人たちだから面識はあったんでしょう。曽根組が「不連続…」を撮ってなかったら、「青春の~」は未完に終わっていたかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

FMN石橋正二郎氏のひとりトークが面白い。KBS京都「大友良英のJAMJAMラジオ」(2026/8/7&14放送分)

■大友良英さん海外ツアーのため、2週続けて石橋さんのめずらしい一人トーク。これが内容も、少したどたどしい語りも含めて面白かった。
■8/7は映画サントラ特集。『ガール・ウィズ・ニードル 』『落下音』「ハムネット」からそれぞれ1~2曲。どれもいい。(以下覚書的メモ)
■『ガール・ウィズ・ニードル 』の音楽担当、フレゼンケ・ホフマイア(プース・マリー)はノイズ/インダストリアル・ミュージックの新鋭として高く評価されているらしい。

『ガール・ウィズ・ニードル 』サウンド・トラック

www.youtube.com■『落下音』は今年観た映画でNo.1とのこと。マーシャ・シリンスキ監督。サントラはないが、唯一歌のある挿入曲。
Stranger · Anna von Hausswolff

www.youtube.com■『ハムネット』、今年見た中で2番目に面白かったと。「ノマドランド」のクロエ・ジャオ監督作品。音楽はマックス・リヒター。

www.universal-music.co.jpかけた曲は「On the Nature of Daylight」
■石橋さん70歳の終止謙虚な語りにも感銘うける。大友氏の正直少し上からの物言い(立場上そうなってしまうのも致し方ないのではとタムラ君と話したことがある)とは正反対。この路線見習いたいなと思わせる。
■8/14は、FMNから出た小間慶太の21年ぶりのアルバム「ともしび」特集。(以下一人語り)小間くんはINU2代目ギタリスト。ライブも数回。3か月位の在籍じゃないか。3代目が北田くん。北田君は小間君の紹介で加入。(JOJOさんのNoteによれば小間慶太在籍は79年5月、~8月頃か。ギターが凄すぎて、町田がテレヴィジョン時代のトム・ヴァーラインの前で歌ってるみたいだった、と述懐。この頃の音源は存在するのか?)。関学(関西学院大学)ラインについて。誰も触れてないけど80年前後、関学に文化総部というのがあって、オールナイトライブなどの企画が活発だった。北田君も小間君も関学。(西宮キャンパスか。90年頃北田さんにインタビューしたのは西宮駅前だった)。リトルモア主宰の孫家邦(ソン・カホウ)さんも関学で小間君、北田君の周辺にいた。(町田の詩集「供花」がリトルモアからといってたが、「供花」は思潮社。「壊色」の間違いか)。あと須山公美子や、青山真治監督の音楽をやってたDowser(ダウザー)の長嶌君(長嶌寛幸。奥さんはPHEW)も関学。小間君は「人前で歌う気は一切ない」と言ってるのでレコ発もなし。CDを聴くしかない。(以上一人語り)。4曲紹介されたがインストが3曲。歌はうまいとは言えないが味わいあるし、曲もかなりいい。「めちゃくちゃ歌がうまい人は昔から苦手」と石橋さん。この感覚、石橋さんらし正直さが出てて面白い。

www.youtube.comJOJO広重さんNote「ともしび」

note.com

キケロ星人のジョー降板劇(杉作ナイト2026/6/16)

■2026/7/06宇都宮Popfreakにて、1988年に私が編集したミニコミ「SOSITE」の回顧イベント「Legendary Fanzine 1988“SOSITE”Revisited」(←Popfreakさんがつけてくれたタイトル)が行われた。
■このレポは改めてブログに書きたいが、てか、いまそんな感じで書きはじめてしまったけど、今回は杉作J太郎と小林稔侍について書きたい。実は「SOSITE」には当時杉作さん(以下J)にも参戦していただいた。もちろん原稿も書いていただいたが、それとは別に「おニャン子クラブファイナル座談会」ってのを企画してJのご自宅で収録した。そこにはたまたま遊びに来てたという風情でフリーライター・編集者の小谷哲さんもいらした。ここでのJと小谷哲さんの2人が空中戦のように展開したおニャン子分析が「SOSITE」の白眉だったと今更ながらに思った。例をあげればJは、秋元康の存在を「新日でいうと新間寿ですよね。みんな新間のことを知ってはいてもプロレス見ながら新間のことは考えてない。それと同じ」とか、小谷氏は「国生が解散の時にさぁ、キリっとしちゃってすごく強くあろうとしながらポロっと泣いたりしちゃうのはさ(中略)より感動するんだよね」みたいな。さらにJは「おニャン子クラブはピラニア軍団に似てますよね。小林稔侍、室田日出男、志賀勝、川谷拓三はソロデビュー組…」みたいな話から、小林稔侍に関して「映画で女を犯しまくってた奴が斉藤由貴のオヤジやってよく東宝は黙ってるなっていうね(笑)」などとやたら小林稔侍に関する発言が多い。それはもちろん小林稔侍愛なんだけど、何か大きなきっかけでもあったのだろうか。それが先日のファニーナイトではからずも明らかになったのだ。

■ということでここからが本題。2026/6/16の杉作J太郎のファニーナイト。恒例となった松方弘樹版「遠山の金さん」のお白州のシーンを再現する「お便り」を読み始めたとき。キャストに悪役として中田博久さんが出ていた話から、突如話が脱線して、40分以上キャプテンウルトラ~小林稔侍の話になった。1人トークで、時間がたっぷりある状況でのJは時折急激にスパークして面白い。■(以下Jのひとり語りを中心に)ウルトラQは怪獣だけ出てくるドラマ、そのあとがウルトラマン。円谷プロ(のちに東宝の子会社)の制作で、放送はTBS。その次がキャプテンウルトラ。制作が東映に変わった。大泉にTVプロダクションがあり、そこでつくられた。だから、ウルトラマンは始まった当初は続けようと思ってはいなかったんです。キャプテンウルトラ役の中田博久さんは本当は紳士で穏やかな人。ここ20年位悪役しかやってない。キャプテンウルトラの主要な仲間のひとりが、小林稔侍さん演ずるキケロ星人のジョー。当時Jは小学生でしたが(いま、Jは一人称を「ボクは」「私は」などではなく、自ら「Jは」と語ることになっている。理由は覚えてないが、Jがハロヲタ復活したことに関係あるのかも)、人生で一番最初に好きになった宇宙人はジョーだったかもしれない。ジョーは、気が弱いのかピンチになると石ころになる。大きな石ころになってごろごろ転がったりする。(ネット検索すると貝になるとある。そういえば変身前も牡蠣のようにごつごつした凹凸に覆われている)(私もキャプテンウルトラを見ていたし、シングル盤(冨田勲作曲)も買っていた、いや親に買ってもらっていたが、ジョーについてはそれほど記憶がない。Jの記憶力と思い入れには感銘受ける)。他にヒロイン城野ゆきさん(現在82歳)、ムナトモ博士(伊沢一郎)。伊沢一郎は特別機動捜査隊に出演してた人(テレビドラマ『特別機動捜査隊』は、1961年10月11日から1977年3月30日まで全801回(話)放送された。これは1時間の刑事ドラマとして日本最多という)。シュピーゲル号は3つに分離した。運転席が3つ。このあとのウルトラセブンで出てくるウルトラホーク1号も3つに分離して戦う。キャプテンウルトラのシュピーゲル号の考えが、円谷プロのウルトラセブンに引き継がれた。また、ロボット「ハック」の存在の大きさを考えると「スターウォーズ」の原型になったのではないか。キャプテンウルトラはスターウォーズのはるかに昔。ハック「キャ・プ・テ・ン、ナントカ・ナントカ、シ・ナ・ケ・レ・バ」なんていってね。ジョーとハックは仲がいい。ジョー「ハック、お前そんなことゆうなよ~」なんていって。そのときから中田博久さんは顔がよくないのかなぁ、ほんとは悪い人じゃないかな?なんて思って。あと宇宙空間が狭い、部屋みたいだった笑。宇宙の空が青くて微妙だった。
■(小林稔侍の降板について)キャプテンウルトラはJは途中からつまらなくなった。理由はジョーが出なくなったから。キケロ星に帰ったのか?すごく寂しくなった。今みたいにいろんなものがある時代じゃないし、気の合う仲間、友達みたいに思ってた。その後「バーディー大作戦」に稔侍さんがレギュラーで出演。あ、キケロ星人のジョーだ!うれしくてうれしくて。しかも第3クールのエンディングが倉田保昭に。Jにとっての黄金時代がきた。まぁそのころはまだJではないんですけど、当時の杉少年にとってはそこからすべてが始まった。大人になって、ワイズ出版が牧口雄二監督の本を出すことになり、ワイズ出版岡田社長とともに小林稔侍さんにインタビューした。初めて会った稔侍さんに思わず「キケロ星人のジョーが大好きだったんです」と伝える。稔侍さんはジョーについて聞かれたことがなかったんだと思う。懐かしい人を見るような顔に。目の前にいる人がなんとなくジョーに見えてきた。稔侍さんの目が言っていた。〈キケロ星人のジョーだよ。恭介くん、ずいぶん大人になったね。ジョーだよ。キケロ星から戻ってたんだよ、ほんとは〉みたいな。そんな声が聞こえてきたわけ。いや、こんなこと喋ってたら涙が出てきましたけど…。すると稔侍さん「あのジョーはやめたくなかったんですよ。降りたくなかった!」と。そのときジャイアント・ロボというドラマを東映がつくるにあたって主役をやらないかという打診があった。「ずいぶん悩んだんです。ジョーもやりたい。でもロボは主役…」。〈恭介くんのようにね、キケロ星人が好き、ジョーが友だちだって思ってた人が全国にいたこと、ぼくは知ってたよ〉、そんな話をした気がします笑。「で泣く泣くジョーをやめた、でもそれが裏切られたんです」「ジャイアント・ロボの撮影に出かけたらいるんですよ、主役が!」。くやしくてくやしくて、くそー!!!と。稔侍さんはそのあとも下積みが続く。アルバイトは「したことない」って言ってました。絶対役者で喰うんだと。ちっくしょ~、いまにみてろ~~~!!!みんながそんな気持ちで入ってつくったのがピラニア軍団。そんな気持ちの原点がキケロ星人降板劇だった。ピラニア軍団にはね、相談役がいたんですよ。渡瀬恒彦。「いや、おれもね~、このままじゃ降りたくないからさ」みたいな。「お前たち、やろうぜ!みんなで一丁やってやろうぜ!!」みたいなね。すごい集団ができるわけですよ、東映の中に。そのきっかけがジョーの降板劇だったんです。

シネマヴェーラ渋谷「生き続ける清水宏」 (2026.2.21~3.20)

去年ヒカリ座に毎週通って、無事全作品制覇した「ジョン・カサヴェテス レトロスペクティブ リプリーズ」。そのパンフに2012年開催の「ジョン・カサヴェテス レトロスペクティブ」プレスからの転載記事がいくつかあった。なかでもカサヴェテス作品のプロデュースや撮影監督を務めたアル・ルーバンのインタビュー記事が面白い。カサヴェテス・レトロスペクティブが日本で開催される意義について、「日本は誇りある映画史を築いてきた」と語り、以下のように発言してた。
「世界中の映画作家と映画愛好家が、例えば清水宏や小津安二郎、黒澤明、三船敏郎、原節子、そして坂本武など、日本の表現者に深い敬意を持っています。」
真っ先に清水宏の名を挙げてるのみならず、最後は坂本龍一ではもちろんなくて、清水や小津が重用した名バイプレイヤー坂本武を出してきた。
不思議なのは、日本での「ジョン・カサヴェテス レトロスペクティブ」が2012年。リプリーズが2025年。私が何回か通った京橋フィルムセンターでの「生誕110年映画監督清水宏」は2013年。そして今回見てきた「生き続ける清水宏」が2026年。同じく13年ぶりというのがなんだか暗号めいている。

そんなわけで、この清水宏回顧上映は今年の2/21~3/20の開催で、もうずいぶん時間が経ったんだけど友人のフクシくんから「刈谷のブログはてっきり清水宏で更新されると思ってたけど唐突にトム・コラですか」と指摘があったので、やっぱりここにも少し加筆したバージョンを。FBに書いたので、それでよしとしてました汗。
ともかくも宇都宮から渋谷はやはり遠かった。もう1回くらい足を運びたかったんだが、とりあえず3/2(月)に4本だけ鑑賞。戦前の「按摩と女」にはじまり、昼をはさんで「何故彼女らはそうなったか」「母情」「母のおもかげ」。

『按摩と女(66分/35mm)』
公開:1938年 監督:清水宏 出演:高峰三枝子、徳大寺伸、日守新一、爆弾小僧、佐分利信、坂本武、二木連、春日英子 
山の温泉にやってきた按摩の徳市と福市。東京から来たいわくありげな女に呼ばれた徳市は…。抒情溢れる山間の風景、按摩たちのユーモラスな会話、湯治場に集まる人々の人間模様、そして美しい東京の女への淡い恋心。一時間の中に全てを詰め込んだ、夢のような傑作。

『何故彼女等はそうなったか(81分/デジタル)』
公開:1956年 監督:清水宏 出演:香川京子、高橋豊子、池内淳子、三重明子、三ツ矢歌子、井波静子、藤木の実、高橋まゆみ 
更生施設に入れられた非行少女たち。愛情を注ぐ女教師の努力も空しく、出所した彼女等への世間の偏見と無理解は激しく…。恵まれない生い立ちの少女たちの過酷な運命が容赦なく描かれるほど、香川京子演じる教師のひたむきさ純粋さが際立つ。

『母情(83分/デジタル)』
公開:1950年 監督:清水宏 出演:清川虹子、徳川夢声、黒川弥太郎、坪内美子、宮川玲子、山田五十鈴、古川緑波、飯田蝶子、浦辺粂子 
人生をやり直そうとする母親が、父親の違う三人の子供を預かってもらうため親類たちを訪ねる母子ロードムービー。勝手な大人の事情に翻弄される子供たちの不安と、それでも母を慕ういじらしさに涙せずにはいられない。

『母のおもかげ(89分/35mm)』
公開:1959年 監督:清水宏 出演:根上淳、毛利充宏、淡島千景、安本幸代、見明凡太朗、村田知栄子、南左斗子、清川玉枝 
道夫の父が再婚し、新しい母と妹がやってくるが…。優しい継母を慕う気持ちと、死んだ母の思い出との間で引き裂かれ、素直になれない少年・道夫の思いを繊細に描き出した、清水宏最後の劇場映画。
(以上、解説文はパンフWeb版より)

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「按摩と女」「何故彼女等はそうなったか」を映画館で観るのは生誕110年の京橋以来。「母情」「母のおもかげ」は初見。

「按摩と女」は清水作品の中でもとりわけ評価が高い。とくに田中真澄は絶賛していた。思えば私は田中真澄の映画評論が好き過ぎて同じ文章を何度もむさぼり読むことがある。この人を手本にしたいと思わせる数少ない名文家。ますみ、といえば和歌山の林真須美も気になるが、もちろん桑田でもなく、まちがいなく田中真澄であり、あえてもう一人挙げるとすれば80年代スピ系を自称するワタシ的には大石凝真素美でしょう。…いやいや話がヨコそれましたがどんどん映画評論になる感じがいやなだけなのです、はい。ともかくも高峰三枝子を語るとき常にこの作品を持ち出す私。傘を差してたたずむシーン、川で泳ごうとしてた按摩・徳市の着物を「着物が裏返しよ」といって整えて着せてあげるシーンなどの目の覚めるような美しさ。ここに物語などを超えた清水宏の独自性、ひらめきもある。というわけで高峰と言えばデコちゃんではなく、当然三枝子なのです。もうええわ。
(※このあと、田中真澄は(たなかまさすみ)だと知る。まさすみ、だったのか。さっきの「もうええわ」までの流れは何だったのか…。)

 

「何故彼女等はそうなったか」。こちらも13年ぶりに再見。
舞台は戦後間もないころの香川県。丸亀城のすぐそばの更生施設に暮らす女の子たちのそれぞれの事情を描く群像劇。丸亀城内の風景、観音寺の三架橋も今とあまり変わらないのかもしれない。観音寺は大林宣彦監督『青春デンデケデケデケ』とロケ地がかなりかぶっている。家に帰った少女が継母に邪険にされてちゃぶ台をひっくり返すが、そのシーンは破れた障子越しなのが凄い。で、「こんな家こっちから出てってやるわ」と硝子戸を乱暴に閉めて出ていくがその扉が妙にスムーズに閉じられる。正直私の高知の実家の方が建て付けが悪かった。閉めても途中で止まるような塩梅だった。なぜならレールに高低があり、それは土台のコンクリがもともといびつだったと記憶する。もっとも乱暴にガチャンと閉まる方が感情が出て良かったのかも知れない。あと池内淳子がまだ少女役で、身を売られていくけれど一人大人びて見える。この5年後に川島雄三監督「花影」で、とうを過ぎたバーのママを演じるのだから人生は短いなどと思ってしまった。浪花千栄子の存在感は言わずもがなの別格。香川京子の「みなさん、どうかこの子たちを暖かい手で抱いてやってください」という最後のナレーションが清水節。

 

「母情」は初見。蜜柑畑で昼寝してる古川ロッパの登場シーン、叔父役の学校の先生徳川夢声は将棋でまったをするとこで登場。どちらもらしい。ロッパの妻役、坪内美子のさりげない登場もいいし、山田五十鈴も後半出てきたがやや唐突に見えたのはあまりにもビッグネームだからだろう。清川虹子が子供に手鏡を持たせて化粧するシーンなども即興か。旅の一座の飯田蝶子、清川虹子の乳母だった浦辺粂子。絵描き役の黒川弥太郎、この人は次郎長の大政役などやった二枚目。そんな豪華キャストが清水宏指揮による、誰とも似ていない異質な空間と異質な役まわりで、いや役ではもはやなく、ただ詩のように、俳句のようにそこにいる。あるいは居合のように。居は、座っていても、寝ていても、疾走していても居である。「合」は、打てば響き、呼べば応える、自在の感応を以って合わずということなし。清水宏の即興的演出のように。…例えば黒川弥太郎は宿に寝転がって子どもと会話するだけで十分だし(「按摩と女」の佐分利信とかぶる)、女学生による男の比ではない枕投げの本気度にやおら立ち上がり、襖の前で「うるさい!」と一喝する。黒川弥太郎は、はて自分はちゃんと演技をしたのかなと、不安になったかも知れない。その後の団体客の宴会の狂騒も含めて、この大人数を縦横に動かす様も、清水宏だけの自在の感応なのだとただただ楽しむことがもはや正解としか思えないのでした。

 

「母のおもかげ」(1959)。これが清水宏最後の映画作品。部屋を横断する長廻しはこの時点で誰かの影響があったかはわからない。冗長なシーンもあるにはあるが、子供を描くときの饒舌さはそんな欠点を補って余りある感じ。落合が山田久志の勝負球であるシンカーに狙いを絞り、ストレートには見向きもしなかったように。でも、おそらくこの時期入院がちだったので、編集する時間がなかったのではないかなと。事実、水上バスの運転手の家庭を描く構想は、聖路加病院に入院中隅田川を見ていて決めたというし、公開後にはまた聖路加に再入院している。編集がどうみてもらしくはなかった。最後の最後にようやく新たな母(淡島千景)に「お母ちゃん」といえる子供のシーン。わかってはいても泣ける。淡島千景はあくまで実質主役である子供の母親役として抑えた演技に徹していたが、たまたま同じ1959年に放送されたNHKドラマ「氷雨」ではまったく正反対の淡島の突出ぶりが凄かった。料亭の下働きから半年で売れっ子の芸妓になるまでのスピード感。「半年であんなに変わるもんかねえ」との下働きを続ける女性の声に、板長が応える。「お茂さんにはな、順番待ちのお客が毎晩5組も10組もあるんだ。誰だって歯が立つわけはねえやな」。このセリフがしばらく耳から離れなかった。「母のおもかげ」の母親役とあわせて見れば淡島の当時の振り幅が堪能できるはず。
…とまぁ、最後は清水と離れてしまいましたが(汗)、4本とも十二分に楽しんだ。帰り、渋谷スクランブルスクエアなどの夜景を見ながら、今後スクリーンで清水宏を見ることはないかもしれない、などと考えると感慨深いものがあるのでした。

 

 

KBS京都「大友良英のJAMJAMラジオ」のトム・コラ特集が面白過ぎたので取り急ぎ記録。(2026/4/10放送分)

ゲストはFMNサウンドファクトリー石橋さん。「いててて」と椅子に座った石橋さん。「ぎっくり腰をこじらせて、駅からKBS京都に来るまでに途中で足が上がらなくなってヤバいなと」。大友氏、爆笑。大友氏もぎっくり腰直前で腰に置き鍼をした状態といい、のっけからどんよりした空気に笑。前の週はライターの高橋マキさんがゲストでさわやかな放送だったが今日は一転して「体調が悪いどんよりした話とどんよりした音楽で」…と紹介し、さらに盛り上がる。
特集はThe Ex+Tom Cora。アナログで再発された『Scrabbling At The Lock』(1991)より「ハンガリー民謡(曲名不明)」「King Commie」。The Exはオランダのパンクバンド。レコメン感強し。


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おなじくThe Ex+Tom Cora『And The Weathermen Shrug Their Shoulders』(1993)より「Dere Geliyor Dere」「Hickwall」。


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FMN石橋氏はかつてサード・パーソン(トム・コラ、サム・ベネット、梅津和時)の来日ライブを企画。あと竹田賢一企画の3人スケルトン・クルー(フリス、トム・コラ、ジーン・パーキンス。これは法政大で観た!)が京都ピックノーズでやったとき、西部講堂に泊まった話。竹田賢一に「普通の日本人と同じ生活をさせたい」と言われたが「普通の日本人は西部講堂に泊まりませんよ」と返した。結果、特にジーナがかわいそうだった。シラスを出すと「目が恐い」と言って食べれなかった。目のついてる食べ物が苦手な人はいるとわかった。トム・コラは他にエチオピア・ジャズの巨人ゲタチュウ・メクリヤとの演奏(ようつべに多数上ってる)も必聴と。


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大友氏が指摘した謎のダンサーの妙な動きも面白い。ともかく先日の宇都宮Speakeasyでのヘンリー・カウ回を思い出す音の面白さ。The Ex+Tom Coraの再発アナログ、もう売切れだそうだが、CDでもいいから入手したい。

zoothorn00.hatenablog.com

 

 

 

杉作J太郎のファニーナイト2026.1第3週1/27-29 テープ起こし的振り返り

■今放送されてる南海放送「杉作J太郎のファニーナイト」がただごとではなく面白いのでなぜか急にここに記録することにする。いまいちばん心を占有してるのが間違いなく杉Jなのだからしょうがない話。かつてミニコミに参加してもらったり、杉作さんのページに書かせてもらったり、いろいろな思い出があることももちろんある。確かPWCだったかプロレス会場で会って以来30年ほどお会いしてないのかもしれない。ときどきmixi日記にも記録してるがそのうち過去のも転載するかも。とりあえず気分次第で続けてみようかなと。

■トゥナイトの利根川裕さんのこと。(杉J氏ひとり語り)「どうもどうも小説家の利根川裕です」「いやあ、こんばんわ。とねがわゆたかです」。ほわあ、っていう喋り方。「いやあ、なんとなんと、そりゃあびっくりですねえ」。なぜ、利根川裕さんが14年間もトゥナイトの司会をやったのか。謎。誰が利根川さんに司会を頼もうと思ったのか。トゥナイト2は石川次郎さん。いやあ、びっくりしましたねぇ。ただの編集の人だと思ってたのが。癖はなかったですね、どっしりおちついてました。
〈トゥナイト2の石川次郎や11PM藤本義一はわかる気もしたが、利根川さんの場合なぜ司会をしていたのかわからないまま、そのうち出てるのが当たり前のようになっていった〉
■中四国ラーメンチェーン店「豚太郎」について。豚太郎の情報をお寄せくださいと。〈南国市の豚太郎は高校時分からあったがごくごく地味なたたずまいでなにか主張する感じはなかった。高橋と松山に行ったときに観た巨大なひし形の看板にショックを受け、「さすが本場だな」と夜電飾が光ってる写真をネットで拾ってmixiのプロフ写真で使ってたことがある。とんかつラーメンも確かにあって食べた記憶がある。あと後免の豚太郎にまだ20代の頃帰省中にぶらっと入ったら厨房に中学校位に家にも遊びに行ったことがあるF君がいてびっくりした。3歳くらい年下で、お姉さんが私と同学年で同じクラスになったこともあったかもしれない。この娘が美人であった。F君と共通の友人にU君という個性的な友人がいた。私はU君とは頻繁に遊んで仲が良く、その関係でF君家にもお邪魔したことがあるのだった。でもF君とはそんなに親しいわけではなかったので、たぶん向こうも気がついたはずだが豚太郎ではお互い話しかけなかったのだった。少し気まずかった思い出が残っている。その後、店舗が引っ越ししたのか別の場所に少しお洒落になった「豚太郎」が出来たが、その調理場にまだF君がいた。〉
■草野、いまの義の富士が若いころの大仁田厚に似ている件。(杉J氏ひとり語り)大仁田が長州に会いに行ったとき、長州が「おい、またぐなよ。またぐなよ!」としきりにいっていた。いまネットなどでなんでもかんでも「共有する」という概念がありますが、昔は到底共有できないような、何を言ってるかわからない人がたまにいた。共有できるということはどんどん没個性になってるということなのだろう。
■大相撲が終わりましたが、終わったからって相撲の話をしなくなるってのもちょっと、かえってなんじゃないですか?という話。
(一人語りの杉J)かつて平凡パンチの編集部にいた頃。原稿入れてデザイン上がってくるまで4〜5時間かかった。その間、雀荘に行ってた。当初は待つための手段だったが、麻雀が面白すぎてやがて雀荘に入りびたり仕事の効率が落ちたので上司から麻雀禁止令が。そのうちある3歳くらい上の先輩から雀荘に誘われる。あれだけダメって言われたじゃないですかと。先輩いわく「行っちゃいけないって言われて行かなくなるのも、かえってなんじゃない?」と。それもそうだなみたいになり、結局雀荘へ。するとかなり離れた卓に、禁止令を出した上司が麻雀してて立ち上がって歩いてくる。1歩2歩と。気がついてないらしいがどんどんきて、「うわ〜」となりそうだったとき、後ろから上司が「獣ちゃん、切るんだったらこれじゃないの?」と。全然怒られなかった。でもそれがあったせいで、行くのをやめた。というか別の雀荘にいくようになったと思います笑。 

40年前の日航機墜落事故第一報が流れる瞬間、北海道の異父兄宅で月曜ドラマランド枠、冨田靖子主演「一休さん」を見ていた件。

日付は変わったが、8/12は日航機墜落事故から丸40年だという。40年前のこの日、私は北海道旅行中で、旅の主な目的は異父兄姉と初めて会うというものだった。前日、豊富町の異父姉宅に泊まり、姉の運転で旭川の兄の家に向かった。3人揃い、テレビを見ながらウイスキーや食事をごちそうになった。「吉見君はウイスキーが好きなんだね」。初めて会った兄の言葉は断片的に覚えてる。私は当時25歳、15歳年上の兄にはすでに大学生の息子さんがいて、その日に会ったと思う。でこの夜、実はフジの「月曜ドラマランド」枠で冨田靖子主演「一休さん」が19時半より始まり、私はもちろんそれを知ってて、たぶんフジを観ようと皆を促したんだと思う。これを最初から見始めた。で、ドラマが始まった直後から日航ジャンボ墜落の第一報が流れた。wikiなどによれば第一報は19:31だったという。記憶では、ドラマも見つつ、チャンネルを変え、NHKなどで緊急の報道特番などを見てショックを受けていた。ただ、「一休さん」は旅行から帰った後、ザ・スラッヂの片岡さんと見直したのでどちらかが録画してたのだろう。そして、このドラマでトミヤスがギターを弾くシーンを片岡さんは早速暑中見舞いで使ったのだった(写真)。当時、私も片岡氏もトミヤスにはかなり入れ込んでいた記憶がある。今関あきよし監督「アイコ十六歳」、そのメイキングムービー「グッバイ夏のうさぎ」はもちろん、1stアルバムの筒美京平作曲「渚のドルフィン」「林檎雨」などの素晴らしさも片岡さんとは共有していた。ともかくもこの事故以来、追悼番組などを見るたび、私は異父兄姉に初めて会ったときの感慨、そしてトミヤスの一休さんを思い出すことになる。ちなみに月曜ドラマランドの名作の一つ「一休さん」、もちろんDVDに焼いて残している。