1月5日午後。
ひまになったので急に思い立ち、高知から土讃線に乗って後免(ごめん)へ。後免駅前のPASTE(ナンコクスーパー)で缶ビールと鯖寿司3貫パックを買い、母校の小学校横にある誰もいない弁天で一人飲み(極楽)。その後、後免をうろうろと放浪。この日、高知市京町の片桐書店が閉店したことを知ってショックを受けたが、きのうY本君に、後免東町のK月ハイヤーが倒産したことを聞いたときはそれ以上の衝撃を受けた。K月ハイヤーのある街角は、大島渚「少年」(1969年公開)の印象的なシーンの舞台だった。当たり屋である母子が佇み、母が子供(少年)に見本をみせる。母が車に飛び込む瞬間、K月ハイヤーがバックに見えている。これをぼくは後年観たが、そのころちょうど少年と同年代(当時9歳)で、ぼくはこのあたりでいつも遊んでいたのだった。「K月ハイヤーのとこの…」といえばだれもがあの街角を思い浮かべたものだったのに、もうないのである。
それから大昔、ぼくがまだ小学生の頃に映画館があった場所を見てきた。そこはただの住宅地になっていたが、45年ほど前には確かに東映系の映画館があり、ぼくは親父に連れられて高倉健のヤクザ映画を観た記憶がある。その映画の看板がまだうっすら記憶にある。そこもぼくが中学校にあがったころにはもう閉館し、やがて取り壊されていたと思う。小さな川(用水路?)が映画館の前を流れていたが、いまはそんな痕跡すらまったくない。あの映画館を知る人はもうこの世に5人といないだろう(それはない)…。
後免駅前にあるサンガリア自販機。サンガリアを見ると帰省した気がしてくる。季節的にはあめゆがホットコーナーにあるべきだが、冷やしあめしかない。なぜだろう。
PASTEでは赤霧島を発見。関東では考えられない。
この左の道沿いに映画館があったが、もうなんの名残もない・・・。
この台座の上になにかあったわけではなく。昔からこうだった。ただ横にはお稲荷様の祠のような建造物があったのだがなくなっている。いいのか。それで。
弁天にあるこの木々を10分ほどながめていた。野鳥が行き交っている。
小学生の頃は皆この大木の根の空間に入り、空洞を木の上まで登って遊んでいた。いまはベニヤで封鎖され、もうとうに遊び場ではなくなっている。いや、そうではない。「危険」な遊び場を封鎖してから、どれだけ長い年月が過ぎたことだろう…。
なんと僕が生まれた年に竣工された母校のプール。
運動場の椰子の木。これずっと変わってないのかなあ。。
まさにシャッター街・・・。
ここが大島渚『少年』のロケ地。この角度ででてくる。
反対からごめん商店街を見る。
路面電車道ならではの空中架線はまるで蜘蛛の巣のよう。
親父が昔通ってた碁会所跡。もう40年ほど廃屋のままだと思う。
この物体が昔から謎だった。
毎日入り浸ってた書店跡・・・。
PASTE名物の交通整理のお兄さん。こんど動画をとろうかな。世間話を交わしつつ撮影。