ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

東京大空襲3・10未明の時刻です。

少し前に紹介した私の母親本に、東京大空襲の体験記があります。私の母は68年前のこの時刻、向島区寺島町で焼け出され、戦火の中を荒川土手まで逃げ、九死に一生を得ました。多くの寺島町の友人、小学校や女学校の同級生、当時の職場の仲間を失いました。大空襲から3日後、職場の日本橋にいくため吾妻橋を渡ると、隅田川を無数の死体が流れていたといいます。そのときのとても印象的な描写があるので紹介します。

「この広い橋の上一帯は、焼けかすであろう粉のような薄茶色の物質におおわれ、コンクリートの道とも思われなくなっていた。私はその中に無数のたびのコハゼをみた。どうしてこんなにたびのコハゼがあるのだろうと不思議に眺めた次の瞬間、私はガーンと何かで打たれたような衝撃を受けたのだ。幾千、幾万の人が火にまかれて死に、たびも焼けボロボロとコハゼが落ちたに違いない。この大きな橋がどのような惨劇の朝を迎えたのか誰も語る人もなく死体も片づけられていたが、果てから果てまで続くこの小さな物質がそのすべてを語っていたのである。 」

大空襲で亡くなり、いまは生き残った方の心の深いところだけに生きている多くの人を思い、改めて黙とうしたいと思います。