ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

「これは、全ての敗者の情念がもたらした最後の復活戦である─『てめえらふざけんな!!』」(片岡理)

今朝片岡さんの割と長い夢を見たので取り急ぎ。スラッヂ片岡理さんのソロの新譜リリースが決定し、インディながらサブカル界で話題となり、レコ発3日連続トークライブが決まる。なぜかトークライブらしい。ぼくは飯田橋に通い、さえないサラリーマンをしている。新聞にも新譜やレコ発ライブの告知記事が掲載されるが、その文章が片岡さんの「死力回復センター」の一連の文章のようで、何度読んでもまったく意味不明。で、初日は仕事で観にいけなかったが、2日目は飯田橋の映画館らしき会場にイン。満員の会場のなか、片岡さんとそのとりまきが駆けつけ、ステージにあがる。とりまきには確かスチャダラパーのボーズや若手漫画家?など。片岡さんはおれに目を向け、「泥船!泥船!」というので、しかたなくマイクを握り、「えー、泥船の主人公は36歳の無職の男で…」などとなぜか渡辺紘文監督「そして泥船はゆく」のあらすじを喋り、ぜんぜん新譜の話にならないのであせる。片岡さんのとりまきにおれがいないのは、会社の仕事のせいだとはなんとなくわかっている。その新譜だが3曲入りのミニCD。かなり装丁、デザインが凝ってて、折りたたむと直径2センチ位になるのだった。聴きたいなと折り紙を開くようにジャケをいじっているがなかなか開かない。と苦戦してるうち目が覚めた。



…こんな夢を見た背景には先日、片岡さんの高校(T高校)の同級生T中さんに初めてお会いしたこともあるのかも。T中さんとはこのブログにコメントをいただいたことがきっかけでメールのやり取りが始まる。私の田舎・後免町の隣町「土佐山田町」に、僕と同時代にお住まいだったこと、また私が12年間勤務した飯田橋の会社のごく近所に今のお住まいがあることなどをきき、これも縁だなと深く感じていた。
お会いしたのは上野。片岡フリークであるDr.O川氏とともに駅で落ちあい、挨拶もそこそこに「大統領」に挿入!ビールも来ないうちからさっそく片岡話に。T中さんは高校のギター部で片岡さんとご一緒で、しょっちゅう二人で行動を共にするほど親密だったが、高校卒業後はほとんど音信不通となったそうな。で、30歳位の頃、偶然日暮里の駅で「おぉ、スミオちゃんやんか!」と片岡さんに声をかけられ再会したという。この話妙に聞いた覚えがある私である。T高のギター部は、基本クラシックギター専門で、当時の部員はリーちゃん(片岡さんのこと)、タケチくん、ナカガワくんなどがいて、T中さんは部員それぞれのギターへの偏愛度の違いを語るのだが、タケチくんナカガワくんのことは何も知らないのに、高知のクラスにはほぼ必ずいる苗字ということや、T高は当時から偏差値は高知でも抜きんでている高校だが、それ以上に変人が多いというもっぱらのイメージということなども相まって、なぜか顔すら想像できてからに面白い。まるで高知の場末の居酒屋が、上野に降臨という風情すら漂って、「大統領」という独特の喧騒状態、そして酔いの中、3人の顔も終始にやけ、はたから見たら妖怪的なオヤジ三酔人問答のように見えたのではなかろうか。Dr.O川氏もこのディープな展開にガハハ笑いを連発する。
「リーちゃんは、ギターはまったくの初心者でしたき」とT中さん。「それより記憶にあるがは、いつもポエムのような不思議な文章をかきよって、あれはなんだろうと長年思いよりました。けんどユーチューブで彼の歌をきいて、それが氷解したがです。あぁあれは詩ではなく歌詞だったんだとね」と、焼き鳥とキムチを交互に喰らいながら話が止まらないT中さんであった。
なるほど、それはまさに片岡さんの伝説の年賀状群やメーリングリスト「死力回復センター」で展開したあまたの文章にもつながっていると強く思った次第。
そのほか、リーちゃんのユートピアは小学校時代の夏休みに過ごした東津野村の秘境にあった。リーちゃんの最大の挫折は高校時代バレーボール部のレギュラーになれなかったこと。これが格闘技をはじめたことにもつながっていた、などなど私とT中さんの思い出を軸に片岡論がつぎつぎと出る出る。「リーちゃんはギタリストでも詩人でもアスリートでもない。表現者ながですよ!」というT中さんの説にも深く同意した私だった。
いやその時点で酔いもかなりまわっていたし、発言の記憶も定かではない。土佐弁もこんなに使っていなかったかも(笑)。大事な話もいくつか忘れているような気がする…。

で、そうそう、T中さんにお見せしようとこの日ぼくがお持ちしたのが片岡さんが高3の時に同級生とつくったという手書きミニコミ「てめえらふざけんな」。T中さん、それをパラパラとめくる手をあるページで止め、「あ、これ僕が書きました」。まさにそんなこともあろうかとお持ちしたのだが、また何かがつながった気がしましたね。そんなことから、「自分はリーちゃんと長く付き合いもなかったし、追悼のようなことは書けないけど、ギター部当時の感想などのメモなら書きますよ」と。さしずめ「てめえらふざけんな2016」とでもいうものになるのだろうか。まさに震えて待て…。いや、「震えてばかりはいられやしないぜ、このまま終わる冬じゃない」!!!…だよね。

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あまりにも眩(まばゆ)ひボウイに距離を置き~デヴィッド・ボウイからイアン・ハンターに至る超個人的なメモ

デヴィッド・ボウイの訃報にいまだに動揺している私。ことさらに崇拝、というほどではなかったけれど、70年代に聴いてた音楽の中でも突出した存在のひとりだったし、特別な憧憬を感じてたのは確か。で、いったいどう聴いてきたのかあらためて振り返ってみようと70年代につくったノートを見てみた。

すると最初にエアチェックして繰り返し聴いていた「ダイアモンドの犬」の頃の記録はひとつもない。確かこのタイトルチューンは記憶ではFMではなく、みのもんたがDJだった文化放送オールジャパンポップス20」(実際僕は高知放送で聴いていたが)かNHK第1の「若いこだま」あたりだったかなと。その後NHKFMでアルバム曲もエアチェックしたと思う。ボウイの曲を最初にメモしていたのは76年年頭にオンエアされたNHKFMの「特集番組ヤングジョッキー」。DJは渋谷陽一大貫憲章。このとき「フェイム」がかかり、5点満点で4点をつけていた(笑)。ヤングジョッキーがレギュラー番組となるのは76年4月で、まだ「若いこだま」を集中的に聴いていた頃だ。
以下、メモより抜粋。
・1976.2.14「若いこだま/新譜特集」
「ゴールデン・イヤーズ」(4)
「ステイ」(3)(※カッコ内は5点満点の評)
・1976.2,19「ポップス・ウイークリー」(DJは東郷かおる子
「ゴールデン・イヤーズ」(4)
「野生の息吹き」(4)
・1976.4.11番組名不明(NHKFMのボウイ特集)
「ステーション・トゥ・ステーション」(★5)★は最高評価
「ゴールデン・イヤーズ」(5)
「ヤング・アメリカン」(5)(寸評:LPに入っている方とEPと全然ちがう。LPの方は最高にいい)
「夜をぶっとばせ」(5)(すごいアレンジ)
「ジーン・ジニー」(5)(とてもかっこいい)
「スペース・オディティ」(5)
「TVC15」(5)
「ステイ」(5)
「野生の息吹き」(5)(本当に歌がうまい)
・1976.5.2「ヤングジョッキー第4回」
「ステイ」(★5)(最高にみりょくのある曲だ。Vocalがほんとに感動的に歌うのだ。ほんとにすばらしいと思う。この人は本当に本当にすごい)
・1976.12.26「ヤングジョッキー/76年回想」
「TVC15」(★5)(曲づくりのうまさを象徴している)
・1977.1.7「ヤングジョッキー/新春ロック講座第7回72年特集」
「ロックンロールの自殺者」(5)
・1977.1.30「ヤングジョッキー第42回」
「ホワット・イン・ザ・ワールド」(5)
「サウンド・アンド・ビジョン」(5)
ワルシャワ」(★5)
・1977.3.29「ヤングジョッキー/ハードロックウイークリー」
「スピード・オブ・ライフ」(5)
・1977.5.14「ヤングジョッキー第60回」
「ビー・マイ・ワイフ」(★5)
「サブテラニアンズ」(3)
(イギーボップ(ママ)とデビッドボウイはセンスが合っている。曲にもそれは明らかにあらわれていると思う。(中略)オレもまだボウイのよさはわからない。もう少し勉強して理解したい)
・1978.6.3~4「ヤングジョッキー/プログレッシブ・ロック・ベスト20」
「ウイッピング・ウォール」
(天才ボウイ。ヴォーカルほしいなぁこの曲)

というわけで、こうして見ると予想よりメモは少ないけど、このときに録音したエアチェックテープは当時は暇さえあればきいていた。なにしろレコードを買うお金はないし、ロックを聴く手段は「ヤングジョッキー」を中心にFMできくこと位しかなかった。例えば76年のゴールデンウイークに7日連続でやった「ヤングジョッキーROCK講座」は全69曲(←ロックだから?笑)を記録してるが、「48~53までは寝ていたのできけなかった」なんてメモがある。すべてを録音してたわけではないようだ。また「第18回ヤングジョッキー聴きのがす!一生の不覚!」なんてメモもある(笑)。我ながら入れ込み方がすごい。

イギーとボウイについてのメモはまったく記憶にないけどいいなぁ…。とにかく真剣にロックに取り組んでることがわかるなと。「ステイ」の評価がどんどん上がってるのも面白い。今はようつべで何でも聴きたいときに聴ける時代だけど、この頃に吸収したことの濃度を思うと今よりも幸せな時代だったのかも…。上京してからは確か「レッツ・ダンス」まですべてのアルバムを買っていた。それなりにハマってたけれど、いまでも聴くといちばん血が騒ぐのは「ダイアモンドドッグス」かなぁ。聴いた時代のロックへの飢えみたいなものと衝撃がぴったり合ったというかな。

で、ぼくはルーリードもイギーもライブを観に行ったけど、ボウイは結局観る機会がなかった。あまりにも華麗で眩い存在だったからかな。見たかったけど。10年ほど前だろうか、その時点ですでに半分あきらめていたが、「ライブも色々見に行ったけど、あとイアン・ハンターさえ見れたら、あとは別にもういいかなぁ」などと誰かに話していた。で、去年ついにイアン・ハンターが初来日。1日だけだけど宇都宮からひとりで下北までライブを見にいってきた。知り合いはゼロ。ぼくと同年代の女性が号泣してたな。「All The Young Dudes」では観客も合唱。イアンもあおる。みんなに交じってどさくさで歌っていた。涙出た。あ、イアン・ハンターの話になっちゃったけど…。でもあのとき、おそらくぼくはボウイを体感したんだなあと今は思っている。ボウイ、安らかにね。「本当に本当にすごい」ロックをもらいました。

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(1992) David Bowie+Mick Ronson+Queen+Ian Hunter / All The Young Dudes ~ Heroes

 

石井明美JOYは京平の金字塔でもあるなと歌いながら半泣き(汗)

最近偽息子(?)のダウンジャケットよく着てるんですが、サイズがでかすぎて写真見ると自分じゃないみたいにでぶってて変。そういえば、ストップメイキングセンスでデヴィッド・バーンが着てたでかいスーツがあやつり人形みたいでインパクトあったなと思い出した。そんなわけで某氏にビッグスーツ着せてのライブ画策中…。

写真は1/4に買い物ついでに寄った壬生の雄琴神社。そのあとカラオケにイン。以下自セトリ。

石井明美-Joy
霧島昇&ミス・コロンビア-一杯のコーヒーから
ミス・コロンビア-蘇州夜曲
稲垣潤一-夏のクラクション
岩崎宏美-悲恋白書
堂島孝平-セピア
小沢健二-天気読み
aiko-三国駅
童謡から-野ばら

Joy、曲素晴らしすぎて歌いながら泣きそうに(苦笑)

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『STOP MAKING SENSE』予告編


JOY - Akemi Ishii 石井明美 歌詞付き

 

酒場放浪記の民放初放送見てはみたけれど

遅ればせながら「酒場放浪記」の民放初放送見たけど、やはりベスト・オブ的なものは自分好みの回はあまりなくちょっと食い足らず。思えばあの回をもういちど見たいなあというお店があるが、場所もお店の名前も記憶にない。そこは。ほぼ100%常連しかこない、昭和の風情が濃いコの字カウンターだけの店。いちばん記憶に残るのは、確か壁ぎわの通路があまりにせまく、トイレのときに客の後ろを通るのが面倒な客は、一度カウンターの上に腰かけて膝を折り器用にクルッと180度回転してから、「コ」の中側に降りてトイレにいく。スカート姿の女性客はその動作でパンチラになるが、常連ばかりなので誰も気にしない。帰って来る時はコの中から逆の動作をするだけ。その際、お尻を置くスペースをとるため、皿などをしばしどかしてたと思う。客は30~40年通ってる人が中心で、時間の流れがそこだけ違うような独特な小宇宙を形成していた。とてもその中にまじって飲みたいとは思えないけど、そんな店の存在がうれしくてニヤニヤしつつ見ていた。あれ、一体どこだったんだろうか…。

写真は昨年末に行った大宮「いづみや第二支店」。東京の元同僚O田さん、N村さんと、どちらからも行きやすいということで大宮にしたのだった。ここも酒場放浪記に紹介されたとこで大宮駅前に本店と第二支店がならんでいる。第二支店にしかないという黒糖焼酎を2杯いただきました。旨い。

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酒場放浪記 2話セット(酒場のみ)「加一食堂」「いずみや・いずみや第二支店」

 

たましひや喪中葉書の空欄に

2016年が明けました。今年もよろしくお願いします。

個人的には喪中ですのでおめでとうという感じではありません。一般的に父母が亡くなった場合は12~13ヶ月が喪に服す期間とか。私の場合、母が昨年4月20日に他界したのでもうしばらくは喪中のようです。
父は平成4年にすでに他界してますので、自分を「息子」とみてくれる人がついにいなくなったわけで、これには想像もしなかった感慨がありましたね。

タイトルは句会で詠んだ句ですが、母を知る人への葉書は空欄を埋めるのに苦労したもんです。喪中葉書もたくさん書きましたが、自分のグループの年賀状もそれはそれでしっかりつくりました(苦笑)。

写真は宇都宮市内の鬼怒川河川敷で撮った初日の出。朝もやに包まれた光景は日の出前から神秘的でした。

ぼくらのグループ、「生きがい創造舎」のくだんの年賀状も貼っときます。デザインは本名を出すと嫌がると思いますがいちばん信頼してるデザイナー、Fukushiくんです。素敵なデザインありがとうございました!

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松島~塩釜行き

ちゃんと記録しとこうかなと。前回松島いったときもクルマでいったか電車でいったかも覚えていない有様で…。というわけで11/2~3は数年ぶりの松島、塩釜行き。新幹線で仙台へ、そこから仙石線で松島海岸駅。円通院、瑞巌寺をみたあと、ホテルに挿入。翌日は遊覧船で塩釜へ。塩釜ではタクシーで塩竃神社にいき、散策。帰りは本塩釜駅まで歩き、仙台へ。遅いお昼を食べてからに新幹線で帰途につきましたわ。

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大相撲 とちぎ場所(2015)と高知場所(1976)

去る10月8日、宇都宮市体育館に「大相撲とちぎ場所」を見に行ってきた。目当ては松鳳山だったが、なんと念願の2ショット撮影に成功。もうこの日はこれだけで満ち足りた1日になったのでした。松鳳山に魅かれたのは2年ほど前のたぶん小結時代。あの不貞腐れたような顔つき(失礼)、そんきょしたとき右ひじを膝に当て、相手を小馬鹿にしたように右手首をぐるぐるさせる仕草に魅了された。船橋二所ノ関部屋所属で、西船橋の居酒屋さんに毎日のように出没するという話にも、浦安に住んでたぼくには身近に思えたし、実は明るくて涙もろい、という話なんかもきくにつけ、興味は深まってたのでした。

で、思い起こすと大相撲の巡業を見たのは2度目で、1度目は高校時代に見た高知場所。その写真を発掘したのでこれもアップしときます。39年前ですね(大汗)。この日は学校をズル休みして同じクラスのI西くんと見に行った。ぼくの目当ては旭國。当時は毎日旭國の星取表をノートに記録するほど入れ込んでいた。本物の旭國を間近に見て感動しまくりだったが2ショットを撮る度胸などまったくなかった気がする。翌日は相撲好きの2人が休んでいたのでクラス中にバレバレ。担任の先生に皆の前で「おい、おんしゃらぁ昨日相撲行っちょったろが!」と怒られ、「いかんぞ!」などといいつつ先生も半分羨ましい気持ちもある雰囲気で、それ以上は深く追求しなかったのだからのどかなものだった(笑)。

さて、それにつけても松鳳山だけど先場所は十両優勝で、このクラスでは段違いのスピードと前に出る力の差を見せつけていた。来場所は幕内復帰が確実なはず。まだ若いし、ぜひ再び幕内で旋風を巻き起こしてほしい。てか本場所見に行かないとなぁ…。マジその気持ちが高まったとちぎ場所でもありました。

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松鳳山と私、、

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キセノンのオーラは他を圧倒していた。

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鈴木杏似の隠岐の海。初金星インタビューでの「奥さんのおかげです」発言は女性ファンに物議をかもしたが、私はあれでファンになった口。

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遠藤の四股。美しすぎる。

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ここからいきなり1976年の高知場所から。高知土産を物色する旭國。どきどきしながら一挙手一投足を見ていた。

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外無双をしかける旭國

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麒麟児。若い。

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煙草をくゆらす輪島。レアじゃね?かっけえ。

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若三杉ですね。

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この日の主役のひとり。ご当地力士の今は亡き荒勢。トゥナイトの「荒勢の温泉がぶり寄り」よかったなぁ。。合掌。