ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

オチ迎ふ星野の笑みや澄みし空


落合博満 サヨナラ3ラン 名場面
中日ドラゴンズ 1989年8月12日 落合博満 逆転サヨナラホームラン

 

星野仙一氏、死去。この報で真っ先に思い出したのが落合サヨナラ本塁打のシーンだった。この日、巨人の斉藤雅樹は完璧な出来で9回1アウトまでノーヒットノーラン。あと二人から音が初ヒット。そして、最後の最後に落合がサヨナラ逆転3ランするという伝説の試合。
この試合、たまたま中継の後に放送される、映画「スタンド・バイ・ミー」を録画予約してたおかげで見ることになった。野球中継が伸びて延長された約30分だけ、あのサヨナラ劇が録画されてたわけで。そのサヨナラ打。東海テレビの名物アナ、吉村功さんが思わず絶叫する。「こんな試合は今まで見たことない!」。しかしそのとき星野は、ただ微笑とも苦笑ともつかない、いわゆる微苦笑を浮かべてた。万歳してもいいはずの状況で。いや。まさか、やってくれよったと喜びをかみしめる表情ともとれるし、「4番だから打って当たり前」とクールさを装ってるようにも見える。いやむしろなにか納得してない表情にも見えるから不思議。とにかくやけに印象に残ってたんですよ。1対4の世紀のトレードで落合を獲った星野さん。野球観の違いで対立したことも伝わってたけど、落合には特別な思いがあったはず。それだけにこの笑顔がずっと謎だった。そしてどうやら謎は解けないままになりそう。落合何想ふ。。

 

(おまけ1)
落合が引退した年のオフ企画にやっためじめ正一との対談より。「王さんは俺より練習したと思うよ。それは思う。でもいまの現役選手見回してさ、おれより練習してるヤツいるかと考えたら、絶対いないもん。」

(おまけ2)

落合監督“気付いた”15秒ルール抜け道
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/02/12/kiji/K20090212Z00002330.html
 11日も梨田監督が「きょうの練習試合では互いに1個ずつ取られたけど、やはり他の部分でスピードアップすべき」と疑問を呈し、キャンプ地を訪問した加藤コミッショナーと会談した落合監督は「次のサインを決めてから捕手が投手に返球することも可能なんじゃないか?」と“抜け道”にも言及した。
…この発想はさすが。。

 

店を出しグレッグオールマン死す年も暮れ

f:id:zoothorn00:20180121164006p:plain

師走の句ですが、一応直近の(自分だけ)押しということでいまさら失礼します(笑)。

私は経済的事情でレコードプレイヤーを買ったのがかなりおそく、それまではミュージックテープを買ってモノラルのLLカセットプレイヤーなどで聴いていた。
ツェッペリンフィジカル・グラフィティ」、ルー・リード「死の舞踏」、ボブ・ディランザ・バンド「ベースメント・テープス」などなど。
ただドーナツ盤用プレイヤーは一応あったので、中学あたりからシングルレコードはお小遣いで買っていた。ビートルズ「レット・イット・ビー」、デオダート「ツァラトゥストラはかく語りき」、メッセンジャーズ「気になる女の子」などなど。
待望のLPプレイヤーを入手し、はじめて買ったLPは、オールマンブラザーズバンドの当時新譜だった「ウイン・ルーズ・オア・ドロウ」とマーシャルタッカーバンド「ニュー・ライフ」の2枚。そう。2枚買い。かなり欲望が決壊ぎりぎりだった状況がうかがえる(笑)。この直前、日記にも新譜への期待が高まる様子を書いていた。
●よしみちゃん日記1975しょの2~オールマンブラザーズバンド
http://zoothorn00.hatenablog.com/entry/2013/02/17/213556

高校3年だったか、オールマンの2枚組ライブ盤「熱風」を買い、そのイラストジャケを美術の時間に模写したら妙にうけて、記憶では1学期3、2学期3だった成績が、3学期総合で5をもらったからすごかった。

ミュージックライフなどでグレッグ・オールマンとシェールのパーティでの2ショット写真などを発見すると、当時シェールにもやられてた私は大ショック。さまざまな妄想をかきたてるネタとしてはそれで十分だったという。ええ。そういえば音楽雑誌で見たパーティでの2ショットはけっこう覚えてる。ジャガービアンカ、クラプトン&パティとか。

お店を始めたのが去年の5月。おなじ5月にグレッグが死去。しばらくしてふとお店にデュアン・オールマンのレコードを飾ろうと思い立ち、レコードを発掘して長押にかけたのがデュアンの誕生日だった。これはあとでわかった。
ともかくもうデュアンもグレッグも不在となり、オールマンブラザースもいよいよ事実上終わったのだと思わざるを得ないと言わざるをえない(福田康夫風)、気づいたらそんなつまらない時代になっていたのでした。


●その他の追悼句

哲やメシ喰わるるば死なんバイと母
過去から見ゆるキース・エマーソン死すまでを
ジャケ失くしキャプテンウルトラの父逝く
ボウイ逝き猫に空返事して化粧
巨泉逝くブラウン管の白い夏

 

日記。東スポ連載の杉作J太郎による三上寛インタビューの読み応えが凄すぎることなど。

福島みずほの目のメイクが気になってしょうがない。でも日曜討論をすべて理解できるようになったらすごいなと思う。
そういえば滝沢修が仲間を集めて、「新聞を読む会」をやってた話をしてた。何の新聞でもいいから丹念に読み、毎週気になった記事を3つ持ち寄り、語り合うというものだった。芝居だけの世界に閉じこもらないようにと。これもアナクロだけど今やると面白いと思う。ぼくなら今だと東スポ杉作J太郎による三上寛インタビューを取り上げるかな(笑
というわけで昨日は家のプランターの土づくりをちまちまやってました。ぼくら「生きがい創造舎」で販売してる「純正有機肥料・栃木のうずらフン」を土に混ぜて切り返しをしましたよ。あえて水をかけず、しばらく熟成させます。
納品してるお店でもこのところ、急激にブツが動き始めたようで、春の到来を感じますです。(うずらフンに関してはここなどに紹介してます→ http://zoothorn00.hatenablog.com/entry/2016/10/14/175837
これからフンにフン闘する毎日がまた始まりそう。フン闘日記も書こうかな。今日は午後から真岡のカンセキに補充に行く予定です。平日はPCに向かう仕事に追われてもやもやしてますが土日はやっぱり晴れ晴れするなぁ。まぁ実際晴れてるし(笑

f:id:zoothorn00:20170305102611j:plain

ちょうど5年前に見た「きゃべつ」「los doroncos AC」についてmixi日記にだけメモしてたので転載。動画見たら、これも貴重なチャンスミーティングの場だったんだと感銘受けた。

f:id:zoothorn00:20170214161846j:plain

いまさらですが2・11は阿佐ヶ谷イエロービジョン行った。きゃべつのセットリストは以下の通り。

1.グランジ・アモール(A.C.ジョビン)<動画有>
山田mc.
2.ベイビー・ソング(オリジナル)
3.真夜中のスイーツ(オリジナル)
ルイスmc.
/////////二人きゃべつ
ホンmc.
4.朝(はっぴいえんど
5.ベッドの中(オリジナル)
/////////
6.カバティーナ(S.マイヤーズ…映画「ディア・ハンター」より)
7.ジェット機のサンバ(A.C.ジョビン)
山田mc.
8.魂のノスタルジア(オリジナル)
ホン&山田mc.
9.イパネマの娘(A.C.ジョビン)


イエロービジョンにははじまる5分前位につき、入口のとこにいらしたどろんこさんにご挨拶する。落合の写真をつかったチラシについて触れると、「あんな素敵な音楽やってるんだから、きゃべつを大きく載せればよかったのに」とおっしゃるので恐縮してしまう。

きゃべつはいくつかの顔を見せてくれたが、山田&ホンちゃんの2人きゃべつが何故かいちばん印象に強い。しかもはっぴいえんどのカバーより、そのあとのオリジナルのほうがよかった。ホンちゃんのギター&ヴォーカルも意外だったし、曲もおしゃれ。山田氏のギターアレンジもひときわ冴える。この二人だとお互いに遠慮なく主張できるからいいのかも知れない。もともときゃべつはこの二人からはじまったのだ。ジョビンの楽曲はさすがにどれも美しい。が、「ジェット機のサンバ」などはけっこうアグレッシブでギターもドラムもロック風味。そういえば山田氏がブラジル修行中、サンパウロのハコに飛び入りした時のことを書いたエッセイを思い出した。山田氏がジョビンを数曲演奏したあと、司会者が気をきかせてMCを入れる。「ニホンからきたヤマダさんです。ブラジル人はもっとジョアン・ジルべルトなどのブラジル音楽を聴かなきゃいけない」。ここで盛り上がったという。面白いエピソード。
ルイスさんは相変わらずの職人ぶり。山田ゆう子さんのフルートは自信にあふれ歯切れよくメロディをリードする。あとでご本人にきいたらW山田+片岡理でいちどライブをしたそうな。そんなわけで約50分。すらともよりずいぶん長かったがそれでもまだぜんぜん聞き足りない思いだった。さっきの山田くんのエッセイ「サンパウロの熱い夜」はこちら→(http://shiryoku2010.web.fc2.com/Html/index3.htm

「VILLA・MADALENAはチャンス・ミーティングの場なんだ、今日のアナタとのように」

対バンのロスドロンコス・アコースティックは武蔵小金井の野方祭以来。あのときにいちばん感銘を受けた「去年の切り株で、死んでしまったあいつと話をした……」という内容の曲が1曲目だった。どろんこさんの、ギターと声のなんの衒いも気負いもない脱力感、そして色っぽさ。セブンさん、川口さんとのトリプルギターはアコースティックだとそれぞれむき出しの個性が出て面白い。野方祭ではなかったドラムも加わり、最後はエレクトリック並みに白熱。いやいややっぱり、かっこいい。「アコースティックはどうなのかな」と不安がっていた某Mのさんなど、終わった後は「毎回通いたい!」と少しコーフン気味に語っていたほどだった。

打ち上げでは17年ぶりにあった友人と話し込んでしまった私。なかなかに濃い夜でした!!
(2012年2月22日mixi日記)

グランジ・アモール


きゃべつ


los doroncos AC


los doroncos AC

福冨陽子『木下闇に風の吹く』を読んで

 あらためて「文芸栃木」(栃木県芸術祭70周年記念号)を読んでみました。巻頭に、生きがい創造舎メンバーである福冨陽子さんの小説部門最高賞作品『木下闇に風の吹く』が掲載されています。
 この作品は若手編集者カオルと、放浪癖があり気難しい編集者泣かせの女流人気作家・薬谷サキの交流を描いた中編。約1万字というがやはり読みごたえたっぷり。「木下闇(このしたやみ)」とはこの作家宅の別名。俳句などでは夏の季語で、強い日差しが降りそそいでも木々の下は鬱蒼として暗いという意味だそう。カオルは週の半分ほどはこの木下闇に詰め、他社の編集者からは愛着を込めて「闇守り」と呼ばれる。カオルは親との死別、恋人との別れなど、まだ自分で解決できない過去を持つが、サキはそんなカオルの気の混乱を出会った瞬間から見抜き、心を計るかのような問いかけ、スリリングな対話が展開される。単にサキがカオルに同じ匂いを感じたわけではなく、サキはまるである能力を持っているかのようにカオルの心情を丁寧に汲み取り、預言者のように言葉を差し出すことで、その混乱は徐々に浄化され、カオルの中の「黒い塊」はゆっくり溶解していく。そして、その過程で作者もカオルという登場人物を借りて、書くことで何かを一つひとつ手放していくような開放感も感じられる。そんな構造もこの作品の魅力。サキは木下闇で小説を完成させるや、放浪癖が首をもたげカオルに別れを告げる。ふたりの濃い時間がうそのように、一瞬の疾風のように去っていくサキ。でもそこには木下闇の澱みを切り裂くような、爽やかな風が吹いている。(生きがい創造舎・刈谷吉見)



『木下闇に風の吹く』をお読みになりたい方は、「市民活動グループ 生きがい創造舎」(028-601-8251)までお問い合わせください。「栃木県文化協会」(028-643-5288)でも入手可能です。

f:id:zoothorn00:20170210175308j:plain

f:id:zoothorn00:20170210175338j:plain

川俣軍司の深川通り魔殺人事件があったのは私の誕生日だったことをいまさら知ったことから、和田哲郎さんとのエピソードまで

唐十郎が83年放送の「訪問インタビュー」で佐川くん事件を語るのを見た。そのころほぼ同時に大きな事件がふたつあったとして、深川通り魔事件のことにも触れた。で、そのとき「なんていいましたっけ」と川俣軍司の名前が結局出てこなかったことが意外で引っかかった。たった2年前の事件というのになぜだろう。気になって調べたら佐川くんパリ人肉事件は1981.6.11で、川俣軍司の深川通り魔事件は6日後の1981.6.17。ここではじめて川俣の事件は自分の誕生日だと知った…。

たとえば三島の命日11月25日は、ぼくの母親の誕生日なので、毎年三島割腹自殺が語られるたびにぼくは母親の誕生日を思い出すことになっている。自分や家族の誕生日に大きな事件があれば、誕生日のたび思い出すことになると考えればその事件は自分とは無関係ではないということになる。

川俣軍司という名前をきくとひとつ思い出すことがある。84年11月に連続射殺魔(バンド名です笑)の和田哲郎さんにインタビューしたとき、和田さんが「川俣軍司」について、「ああいう人は出て然るべきだし、出なきゃ余計気持ち悪いと思うし、かわいそうだなとすごく思う」と語ったのだ。そのときぼくが明確に気持ちを語れなかったときに「じゃあ君は、はっきりしたあれがないんだ。世の中いやじゃないって言ってんだ」と責められるようなシーンがあった。個人的にはもっとも記憶に残ったやりとり。そのとき、でもそういわれつつも、和田さんの気持ちに理解も共感もできたことはなんとなく記憶にある。共感という言葉を誤解を恐れずに言えばだけど。いや、和田さんとはフレンドリーな取材ができたし、その後もライブでご挨拶したり、ぼくらのミニコミのライブ企画にも出演していただいたり、いい思い出がたくさんある。

川俣事件がいまさら自分の誕生日とわかったことで、今後自分の誕生日には川俣のことを思い出すことは結果よかったのだと思う。通り魔事件などが当時ほどめずらしくなくなった今、事件を憎むとと同時に事件が起こった背景をあらためて考えることになるのだから。

f:id:zoothorn00:20161225104517j:plain

「Fragile」9号(1985年3月発行)より。同じ号にザ★スラッヂインタビューも掲載されてます!

ハーレー斎藤、逝く。安らかに…

ハーレー斎藤死去の報にぼんやりするなか、大向美智子のブログを読んだらしみじみ泣けてきた。
http://ameblo.jp/egoist5/entry-12229089618.html

>普段もさいちゃんに話してくるのはチャマの話ばかり
>いつもお前のこと考えてるんだぞって…
>風間さんちに走った

このくだりから、お粥さんを買うところ。すばらしい。

大向がLL新人の頃、よくドキュメント番組に出演していた。道場の練習で大向が、穂積を相手に首投げを5回ほど繰り返し(穂積は受け身の練習になる)、それから上に持ち上げてボディスラムという一連のシーケンス。持ち上げながらよろける姿にリング下のハーレー「なんで詩子1人が持ち上げられないんだ、おまえは!」と叱咤する。風間、神取なども見守っていたが、指導役はもっぱらハーレーだったような気がするし、このブログでもそれはわかる。ハーレーの試合はジャパン女子末期からLLPWの毎月の後楽園、千葉の銚子や新潟など数えきれないほど見た。そのせいかハーレーが夢に出てきたことがある。ハーレーって性別は女性かもしれないけど、気の強さは男子そのものという印象が強くてそれは失礼かもしれないけれどいつもひっかかっていた。それと身体能力の高さや技のキレなど本当に天才肌だったし、どんなスポーツでも超一流のアスリートになれたのではと妄想させるようなところがあった。

全女との交流戦が始まったころは「全日本女子も歴史はあると思いますけど、自分たちにも歴史がある」と確固たる自信とプライドをもって立ち向かい、結果北斗やブルを認めさせた。三田や下田との試合ではプロレスを教えていたようなところもあった。もう少し身体が大きければどうなってただろうとこれも妄想。最初に北斗とタッグで試合した後、真っ先にマイクもって「これじゃ納得いかねえよ」と北斗にかみつく。さらに控室に乗り込んで「てめえとは決着ついてねえんだからな」「おまえとはそのうちやってやるよ」。このやりとりしびれたなぁ。動画は残ってないだろうけど、RIEとのシングルも実戦でのプロレス教室みたいなものだった。試合後RIEに「元川とやった時がもっとおもしろかったぞ」とニヤリ。「やりたかったハーレーさんと試合できて心のもやもやがとれました」というRIEの談話にもほっこりした。

そう、見ているだけでももやもやがとれる痛快な試合をつくれたのがハーレーだったかな。色々思い出すけど忘れたことのほうが多い。それほど時が過ぎてしまった。でも動画はたくさんありそうなのでぼちぼち思い出して追悼できるかな。

ハーレー、さようなら。ほんとかっこよかったなぁ。R.I.P.

f:id:zoothorn00:20161222182118j:plain

↑LLやjdを見ていたころの観戦メモ。読まないでください(笑)


ハーレー斎藤、イーグル沢井 vs. ブル中野、アジャ・コング 1/2 (93.04.02横浜アリーナ)