ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

石井明美JOYは京平の金字塔でもあるなと歌いながら半泣き(汗)

最近偽息子(?)のダウンジャケットよく着てるんですが、サイズがでかすぎて写真見ると自分じゃないみたいにでぶってて変。そういえば、ストップメイキングセンスでデヴィッド・バーンが着てたでかいスーツがあやつり人形みたいでインパクトあったなと思い出した。そんなわけで某氏にビッグスーツ着せてのライブ画策中…。

写真は1/4に買い物ついでに寄った壬生の雄琴神社。そのあとカラオケにイン。以下自セトリ。

石井明美-Joy
霧島昇&ミス・コロンビア-一杯のコーヒーから
ミス・コロンビア-蘇州夜曲
稲垣潤一-夏のクラクション
岩崎宏美-悲恋白書
堂島孝平-セピア
小沢健二-天気読み
aiko-三国駅
童謡から-野ばら

Joy、曲素晴らしすぎて歌いながら泣きそうに(苦笑)

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『STOP MAKING SENSE』予告編


JOY - Akemi Ishii 石井明美 歌詞付き

 

酒場放浪記の民放初放送見てはみたけれど

遅ればせながら「酒場放浪記」の民放初放送見たけど、やはりベスト・オブ的なものは自分好みの回はあまりなくちょっと食い足らず。思えばあの回をもういちど見たいなあというお店があるが、場所もお店の名前も記憶にない。そこは。ほぼ100%常連しかこない、昭和の風情が濃いコの字カウンターだけの店。いちばん記憶に残るのは、確か壁ぎわの通路があまりにせまく、トイレのときに客の後ろを通るのが面倒な客は、一度カウンターの上に腰かけて膝を折り器用にクルッと180度回転してから、「コ」の中側に降りてトイレにいく。スカート姿の女性客はその動作でパンチラになるが、常連ばかりなので誰も気にしない。帰って来る時はコの中から逆の動作をするだけ。その際、お尻を置くスペースをとるため、皿などをしばしどかしてたと思う。客は30~40年通ってる人が中心で、時間の流れがそこだけ違うような独特な小宇宙を形成していた。とてもその中にまじって飲みたいとは思えないけど、そんな店の存在がうれしくてニヤニヤしつつ見ていた。あれ、一体どこだったんだろうか…。

写真は昨年末に行った大宮「いづみや第二支店」。東京の元同僚O田さん、N村さんと、どちらからも行きやすいということで大宮にしたのだった。ここも酒場放浪記に紹介されたとこで大宮駅前に本店と第二支店がならんでいる。第二支店にしかないという黒糖焼酎を2杯いただきました。旨い。

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酒場放浪記 2話セット(酒場のみ)「加一食堂」「いずみや・いずみや第二支店」

 

たましひや喪中葉書の空欄に

2016年が明けました。今年もよろしくお願いします。

個人的には喪中ですのでおめでとうという感じではありません。一般的に父母が亡くなった場合は12~13ヶ月が喪に服す期間とか。私の場合、母が昨年4月20日に他界したのでもうしばらくは喪中のようです。
父は平成4年にすでに他界してますので、自分を「息子」とみてくれる人がついにいなくなったわけで、これには想像もしなかった感慨がありましたね。

タイトルは句会で詠んだ句ですが、母を知る人への葉書は空欄を埋めるのに苦労したもんです。喪中葉書もたくさん書きましたが、自分のグループの年賀状もそれはそれでしっかりつくりました(苦笑)。

写真は宇都宮市内の鬼怒川河川敷で撮った初日の出。朝もやに包まれた光景は日の出前から神秘的でした。

ぼくらのグループ、「生きがい創造舎」のくだんの年賀状も貼っときます。デザインは本名を出すと嫌がると思いますがいちばん信頼してるデザイナー、Fukushiくんです。素敵なデザインありがとうございました!

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松島~塩釜行き

ちゃんと記録しとこうかなと。前回松島いったときもクルマでいったか電車でいったかも覚えていない有様で…。というわけで11/2~3は数年ぶりの松島、塩釜行き。新幹線で仙台へ、そこから仙石線で松島海岸駅。円通院、瑞巌寺をみたあと、ホテルに挿入。翌日は遊覧船で塩釜へ。塩釜ではタクシーで塩竃神社にいき、散策。帰りは本塩釜駅まで歩き、仙台へ。遅いお昼を食べてからに新幹線で帰途につきましたわ。

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大相撲 とちぎ場所(2015)と高知場所(1976)

去る10月8日、宇都宮市体育館に「大相撲とちぎ場所」を見に行ってきた。目当ては松鳳山だったが、なんと念願の2ショット撮影に成功。もうこの日はこれだけで満ち足りた1日になったのでした。松鳳山に魅かれたのは2年ほど前のたぶん小結時代。あの不貞腐れたような顔つき(失礼)、そんきょしたとき右ひじを膝に当て、相手を小馬鹿にしたように右手首をぐるぐるさせる仕草に魅了された。船橋二所ノ関部屋所属で、西船橋の居酒屋さんに毎日のように出没するという話にも、浦安に住んでたぼくには身近に思えたし、実は明るくて涙もろい、という話なんかもきくにつけ、興味は深まってたのでした。

で、思い起こすと大相撲の巡業を見たのは2度目で、1度目は高校時代に見た高知場所。その写真を発掘したのでこれもアップしときます。39年前ですね(大汗)。この日は学校をズル休みして同じクラスのI西くんと見に行った。ぼくの目当ては旭國。当時は毎日旭國の星取表をノートに記録するほど入れ込んでいた。本物の旭國を間近に見て感動しまくりだったが2ショットを撮る度胸などまったくなかった気がする。翌日は相撲好きの2人が休んでいたのでクラス中にバレバレ。担任の先生に皆の前で「おい、おんしゃらぁ昨日相撲行っちょったろが!」と怒られ、「いかんぞ!」などといいつつ先生も半分羨ましい気持ちもある雰囲気で、それ以上は深く追求しなかったのだからのどかなものだった(笑)。

さて、それにつけても松鳳山だけど先場所は十両優勝で、このクラスでは段違いのスピードと前に出る力の差を見せつけていた。来場所は幕内復帰が確実なはず。まだ若いし、ぜひ再び幕内で旋風を巻き起こしてほしい。てか本場所見に行かないとなぁ…。マジその気持ちが高まったとちぎ場所でもありました。

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松鳳山と私、、

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キセノンのオーラは他を圧倒していた。

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鈴木杏似の隠岐の海。初金星インタビューでの「奥さんのおかげです」発言は女性ファンに物議をかもしたが、私はあれでファンになった口。

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遠藤の四股。美しすぎる。

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ここからいきなり1976年の高知場所から。高知土産を物色する旭國。どきどきしながら一挙手一投足を見ていた。

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外無双をしかける旭國

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麒麟児。若い。

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煙草をくゆらす輪島。レアじゃね?かっけえ。

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若三杉ですね。

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この日の主役のひとり。ご当地力士の今は亡き荒勢。トゥナイトの「荒勢の温泉がぶり寄り」よかったなぁ。。合掌。

 

 

きゃべつ 大久保水族館20150930

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私が飲みを企画すると知らず知らず似た者同士のようになるから不思議。以前元職場の同僚と、きゃべつの山田くんと3人飲みをしたあと、あとで山田くんに「あの人、カリヤさんに似てるよね」などと言われて、ハッとした。今回のきゃべつの前飲みに誘ったUさんも違う職場の元同僚で、某現場でだれかに「兄弟ですか?」ときかれたことさえあるけど、これは見た目の話。いまはあまり似ていないようですが(笑)。
で今回は、Dr.O川氏とUさんとその仲間2名、ぼくと神谷操さんの宇都宮組の6人というメンツで、馬場「みつぼ」で前飲み。これが意外や盛り上がったが、Uさんは山田くんとも大変親しいのにライブには行かずに(笑)居残り(そのあと終電までカラオケだったとのこと)、ぼくとDr.O川氏、神谷氏で大久保水族館に向かった…。

水族館にぎり挿入すると森本在臣アコギ弾き語りソロがちょうど始まる。弾き語りアンソロジーなどで聞き覚えのある曲多数。MCでは2900枚残っているスラッヂのライブCD「ブレインケプトアローリン」をなんとか消化していこうという話など。ケースは500枚つくったがそれも全部割れてしまったと初耳の話。となりにいたノーミズ氏は木場「河本」以来だったが、「音源わすれましたよ。もってくればよかったな~」などと言い、そういえばノーミズ新譜はすごく聞きたかったんだが無料ダウンロードというのになぜかハードルがあり未聴だった。森本氏のアンソロジーなどはすべて郵便振り込みで購入したがあのスタイルなら簡単なんだが(意味不明?)。
で次はFJエレキ弾き語り。この日買った宅録CDにも収録されていたLemonという新曲がなかなかイカス(FJ風)。しかもこの日のよりシンプルなギターのトーンに魅かれる。あとで某DYさんと動画を見たけど非常に曲の評価が高かったという…。
3つめはイミテイションズ中島氏+山田氏による片岡理曲「悲しみの琴桜」~「埒開かずの海」。ドリーファンクもびびった琴桜。片岡さんは実は琴桜よりも北の富士がアイドルだったはずだけどどっちにしてもこの時代の横綱はいまより怖いほどに強く感じたもの。「埒開かずの海」の舞台はスザキじゃなくてスサキ(須崎)。ちなみにアクセントはスじゃなくてサにつける。ス↑サ↓キ↓じゃなくてス↓サ↑キ↓。この日の埒開かずは「寒いおでんは背中からReturns」版アレンジで、KnowMeZアカシ氏持参というKORGが効いてた。最後はそのアカシ氏が加わっての「寒いおでんは背中から」。「全然わかんない」といいつつ鬼才ぶりを見せつけるドラムは鮮烈だった。
で最後は4人きゃべつ。セットリストは以下。

Royh
アンディのサンバ
Japon
Brasil
Grande Amor
Mugiya

Japonの山田ソロにはパトリック・モラーツの香りがムンムン。プログレ、麦屋節、サンバ、ボッサありとジャンルにこだわらない山田氏の視野の広さがまたきゃべつの魅力。しいていえば歌が欲しいとはぼくも動画を見た某DYさんも同意見。死力回復センターはヴォーカルのさとうさんの歌の存在が大きかったということなどを思い起こしていた。

で、終演後は神谷氏と山田氏をひきあわせ(これは今回の目的のひとつだった)、見に来てたスラッヂの片山さんとともにしばし歓談。シンセ奏者神谷さんは冨田勲の影響が大だった話を引き継ぎ、片山さんが「キャプテンウルトラ」のテーマをもちだしたのはさすがというべきか。ぼくも、放映当時シングルを買って聴き倒してたなぁ。この日、神谷氏は山田氏に自分のCDを進呈したがその感想はぼくを通して神谷氏にも伝え、とても喜んでいたことも付け加えておく。

以下、この日の動画。撮影は例によって私(笑)

●藤井政英-Lemon

www.youtube.com


●きゃべつ

アンディのサンバ

www.youtube.com

Japon~session version

www.youtube.com


mugiya~session version

www.youtube.com

 

また見つかった片岡メモ

スラッヂ片岡理さんのメモを発掘。
写真は、90年の夏からふたりで半年契約していた大阪市東住吉区○○葵荘の請求書のウラに書いてあったメモ。記憶にないけど、どうやら正式な契約前にひと晩だけ泊めていただいたときのもののよう。というのも、そもそも大阪には1週間程度どこかに泊まって滞在しようということで出かけたのだが、なんとその日のうちに思いつきで不動産屋さんに挿入し、速攻契約したのだった。メモの冒頭、メリハヘロとあるのは私の苗字刈谷を分解したもの。ぼくは片岡さんの某友人に数年前お会いしたとき、「あの~、メリハヘロの刈谷さんですよね」と言われ、びっくりしたことがある。片岡さんは誰かにぼくの話をするとき、好んで使っていたらしい(笑)。
まあそれは置いといて、途中出てくる「津山さん」はもちろん篤さんのことだと思うけど、そうですよね(誰にきいてるのよ)。僕自身津山さんに取材したことはないし、取材するという話も記憶にない。僕と片岡さんは当時ベアーズなどで津山さん関係のライブは見ていた(広島カーブドエアのライブテープはいまも残ってる)はずで、それらがきっかけで片岡さんが動いたのかなと。この取材は何かの理由で実現しなかったのかもしれないけど、それにしてもなぜ記憶がないのかな…汗。
アパートの請求書もなにか生々しくていい。「廊下、便所電灯費」が妙に高い気がするし、「廊下、便所消耗費」はさらに高いし何のことかわからない…。そうそう葵荘の写真はミクシ等でいくつかアップしましたけど、また探してみようかな。
あと、片岡さんのおばあちゃんが亡くなって急遽帰省するときのメモ(これも葵荘時代)も出てきたけどこれは自粛しときますかね。最後に「生丁」の署名がありました。生丁はよく使ってたね。

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